心に訴えるバラード『青い影』がロックバンドの代表曲だったとは!

昨日、全国紙の訃報欄で『青い影』の共同作曲者ゲイリー・ブルッカー氏が亡くなったことを知りました(享年76)。記事を読んで少し狼狽えてしまいました。というのも、『青い影』(1967年)の作曲者ブルッカー氏がイングランド出身のロックバンド、プロコル・ハイムの中心メンバーだったと初めて知ったからです。メディアはブルッカー氏について次のように言及しています。

ゲイリーは英ロンドン生まれで、1966年に「プロコル・ハルム」を結成。翌67年にリリースした、ゲイリーさん作曲のデビューシングル「青い影」は1000万枚以上を売り上げ、日本を含む世界中で大ヒットした。1977年にバンドが解散した後も、ソロとして音楽活動を続け、エリック・クラプトンのライブバンドに参加するなど、さまざまなアーティストに影響を与え続けた。その後、バンドを再結成し、1991年にはアルバムをリリース。2019年のライブが最後となった。松任谷由実はインタビューで、自身の原点になったバンドと答えている。2012年11月〜12月には夢のジョイントツアーを果たした。

基本的なコード進行をマスターしたての中学生の頃、メロディーラインが気に入ってよく弾いた曲のひとつが『青い影』でした。美しいバラードなので、今まで、てっきりスクリーンミュージックだと思い込んでいたのです。まさか、英国を代表するロックバンドの代表曲だったとは思いも寄りませんでした。イントロはバッハの「G線上のアリア」をモチーフにしていますし、格調の高さはクラシックの名曲並みと言っても差し支えありません。リリカルな原題”A Whiter Shade of Pale”もいいですね。歌詞を読むと、どうやら男の元を去ろうとする女の歌のようです。血の気が引いて顔色が蒼白くなっていく様子を曲名にしたのでしょうか。

荒井由実山下達郎、故・大瀧詠一細野晴臣などなど、日本の音楽シーンへの影響は絶大でした。Wikiによれば、生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げていて「人生でベスト3に入る曲」と語り、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」とまで発言していたそうです。ロック史上最も美しい曲という声価に唯々頷くしかありません。