1月17日は<マーティン・ルーサー・キング・デー>|4月15日は<ジャッキー・ロビンソン・デー>

1月17日の米国市場は休場でした。2022年のサマータイムが始まる3月13日まで、米国東部なら日本時間との時差はJST-14です。米国の数ある祝祭日において、人名を冠したものは1月17日の<マーティン・ルーサー・キング・デー>と10月10日の<コロンブス・デー>だけです。ちなみにキング牧師の誕生日に近い1月の第3月曜日が祝日とされています。日本時間18日未明まで、NYダウや米国債10年利回りのリアルタイム表示が停止したままだったので、ようやく17日の米国市場休場に気づいたというわけです。4月の聖金曜日、聖土曜日、復活祭のような移動祝祭日に至っては、いまだにうろ覚えでいけません。

2020年5月25日、米中西部ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさん(当時46歳)が、白人警官の暴行を受け死亡したことをきっかけに、「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大事だ)」運動が瞬く間に世界中に拡がりました。同年9月、テニスの全米オープン大坂なおみ選手が1回戦から決勝戦まで、過去に警察などの暴力の犠牲になったアフリカ系アメリカ人の名前を刻んだ「BLM」マスクを着用して試合に臨んだので、「BLM」運動は概して人種差別に鈍感な日本人の間でも注目を集めました。大坂なおみの企業スポンサーのひとつ日清食品は、この抗議パフォーマンスに対して対応を誤りSNSが炎上、もう一方のスポンサー・ナイキは正面から抗議活動を支持して絶賛されるという明暗の岐れるオマケ付きでした。日清食品の過ちは、大坂選手の姿勢に一切言及しなかったことです。「沈黙は金ならず」だったのです。

急速に拡大した「BLM」運動の規模は、キング牧師Martin Luther King, Jr.)が主導した1960年代の公民権運動以来だそうです。人種差別撤廃までの道程は長く険しいものでした。21世紀を生きる私たちが記銘すべきは、「私には夢がある(I Have a Dream)」で有名なキング牧師の演説(1963年8月28日)が行われてから半世紀余りしか経っていないことです。キング牧師の主導した運動が徹底した「非暴力主義」に基づいていたことも忘れてはなりません。翌年、「1964年公民権法」が米国連邦議会を通過します。不幸にも、その4年後の1968年、キング牧師テネシー州メンフィスで凶弾に倒れ39歳で亡くなります。

American Center Japanには米国国務省出版物が掲載されていて、Martin Luther King's "I Have a Dream" Speechの原文と邦訳を閲覧することができます。キング牧師は演説のなかで、<今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。>と激しく抗議しています。この約束手形とは、合衆国憲法や独立宣言に記された崇高な言葉、即ち、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福 の追求という不可侵の権利を保証される、という内容のことです。

キング牧師の願い虚しく、人種差別は21世紀を迎えても根絶されておらず、皮肉なことに「BLM」運動が世界中の耳目を集める結果となりました。毎年4月15日、ベースボールの聖地米国では、米球界全体で永久欠番とされる背番号42番のユニフォームを大リーガー全員が着用して、プレイに臨むスタイルが定着しています。背番号42番が永久欠番とされたのは、1947年にブルックリン・ドジャーズでメジャーデビューを果たしたジャッキー・ロビンソンの背番号に因んでいます。彼は人格高潔なアフリカ系アメリカ人で、MLB初の新人王に選ばれ、10年のキャリアのなかで首位打者盗塁王、リーグMVPなど主要タイトルを獲得するだけではなく、引退後も、黒人の地位向上に積極的に取り組みました。デビュー当時はチームメイトが共にプレイすることを拒んだり、対戦相手がドジャースを忌避する動きもあったのだそうです。<マーティン・ルーサー・キング・デー>や<ジャッキー・ロビンソン・デー>というリマインダーがありながら、米国では建国以来、人種差別が収まりません。日本人の差別意識は無自覚なだけに罪作りかも知れません。いまだに、<ガイジン>が不適切な言葉(場合によっては差別用語)だと認識していない日本人が数多く存在しています。1月17日とジャッキーがデビューした4月15日くらいは、差別意識の自覚に乏しい日本人こそ人種差別への思いを新たにすべきではないでしょうか。