論語と恩師~<見義不為 無勇也>~

先週、同級生を通じて中学時代の恩師U先生が他界されたことを知りました。1月6日のことでした。卒業以来、毎年欠かさず頂戴していた年賀状が届かないので、もしや体調を崩されたのではと心配していた矢先のことです。通っていたのは1学年4クラス編成の某国立大学教育学部附属中学校(以下、<附属中学校>)。U先生は学年主任で中学2年次・3年次の担任だったので、学校生活全般で大変お世話になりました。<附属中学校>は、教育の研究を目的として設置されているので、教科書本位の授業と一線を画した実践的かつ刺戟的な授業が行われます。教育学部教職課程に在籍する教育実習生(教生)が派遣され、彼らが授業を行うこともあります。

U先生の担当教科は英語。当時の<附属中学校>には全国的に見ても珍しいラボ教室があって、U先生に向かってグループ毎にブース(5~6名)が配置されていました。全員ヘッドセットを着用して、先生から英語で質問されて答えたり、ブースの仲間同士で似たようなQ&Aを繰り返します。例えば、こんな按配です。

”What does your father do ?”(お父さんのお仕事は何ですか?)

”He is a local government officer” (父は地方公務員です)

中学生ですから日本語NGというわけにはいきませんが、ラボでの会話は、原則英語でした。英語科教員はイラストが上手な生徒を使って様々な4コマ漫画(イラスト)を作成します。八百屋で買い物をする場面、街角で道を尋ねられる場面等々、吹き出しには場面に応じた質問や答えが英語で挿入されていきます。こうしたユニークな教育のお蔭で、生徒たちは公立中学校では絶対に学べない英単語をしこたま仕入れることになりました。八百屋なら、”eggplant(ナス)”、"green pepper (ピーマン)"・・・今から思えば、文法やスペルを云々する前に先ず音から入る授業は大変先進的だったのです。海外派遣経験のあるU先生の流暢な英語を浴びて、生徒たちは着実にスキルアップを遂げたのです。

<附属中学校>の真価は、ホームルームや授業の合間に教師が放つ言葉にありました。警句や箴言の類も多かったように思います。なかでも特に印象に残っているのは、ホームルームの最中にU先生から叩き込まれた次の言葉です。

<義を見て為さざるは、勇無き也>(『論語(為政2-24)』)

真意を汲みとれるようになったのはそれからずいぶん後のことでした。2015年ラグビーW杯南ア大会において、優勝候補の一角南アフリカに勝利し世紀の番狂わせを導いた元日本代表監督エディー・ジョーンズ氏が日本代表選手に自己犠牲の精神を説いたときに掲げた言葉でもあります。十数年前、灘高校の国語教諭が著した『高校生が感動した「論語」』(佐久協・祥伝社刊)を読んだとき、さすが最難関高校の国語の授業は桁違いだと唸ったものです。日本人は『論語』というたった一冊の書物を通じて、人とのつきあい方や正しい生き方を知らず識らずのうちに学んできたのだと著者は言います。社会人となって世の中に揉まれ苦しむとき真に役立つ書物は『論語』、そう考えるとU先生は『論語』の中から珠玉の教えを選んで説いてくれていたのです。<人として行うべきことを分かっていながら、それをしないのは臆病者>だと。「義」を拠り所に自分に与えられた役割を果たすこと、それが大切なのだと繰り返し教わっていたわけです。

U先生が亡くなった数日後、そうとは知らず、近所の書店で何気なく購入したのは『完訳論語』(井波律子訳・岩波書店)。しばらく遠ざかっていた『論語』を読み返そうと思ったのは、U先生のお導きとしか思えません。