学位(卒業証書)価値が消滅するアフターコロナの世界

十数年前に『受験の神様』(坂口幸世著・朝日新聞社刊)を読んだとき、深く脳裏に刻まれた蓮實重彦東大総長の卒業式告辞(2000年3月25日)を引用します。

「高等教育期間が授与する三つの学位の一つである学士という称号の品質保証期間は、せいぜい三年、長くて五年だとわたくしは思っています。(中略) それは、間違っても、生涯を保証するものではありません」

漠然と理解しているつもりでしたが、学士の価値をこれほど的確に言い当てた言葉を知りません。目から鱗でした。大学で学んだことが社会で役に立たないという事実は、社会人なら誰しも肌で感じているはずです。Windows 95(1995年)の発売が引き金になって到来したネット時代は、社会に革命的変革をもたらし、あらゆる分野で知識の陳腐化が加速しています。2020年を迎えた今日、学士の品質保証期間はさらに短くなっているに違いありません。

“Wikinomics”の著者として知られるDon Tapscot(ドン・タプスコット)氏は、グーグル世代に暗記は不要だと言い切っています-Google generation has no need for rote learning-。

知識は完成物として所有するものではなく、応用のために絶えずカスタマイズされ、アップデートされなければなりません。英語にはbrushupという便利な言葉があります。まさに磨き直しが求められているのです。再学習こそ、アフターコロナを生き抜く術なのです。

蓮實総長は2週間後の入学式式辞で「思考の柔軟性こそが、知性と呼ばれるものにほかならない」と述べています。

米国ではコロナ危機により、大学教育バブルが崩壊しつつあると囁かれます。学費が高額な米国では奨学金に頼る学生が多くく、就職後も多額のローン返済に追われています。オンライン(遠隔)授業へのシフトに伴い、学位の価値が投資(学費)に見合わなくなっています。今後、日本でも高額授業料を課す私大に授業料引き下げの圧力がかかることでしょう。にもかかわらず、休校が継続する教育現場において、授業料の返還に応じる私大は今のところ現れません。

朝日新聞の調査によれば、平成の30年間〔1989~2019年のこと〕に,18歳人口は193万人から118万人(2018年度)に38.8%減ったにもかかわらず、大学は499校から私大を中心に782校に増えています。この間、大学進学率は25%から53%に倍増し,学生数も207万人から291万人に増加しています。明らかにオーバースクールです。学生の質の低下はもとより、教員の質の低下も気懸りです。2019年調査では私大の33%が定員割れを起こしています。こうなると、不要・無用の大学は全体の2/3、いや3/4に達するのかも知れません。専門学校のように資格取得に向けた教育に専念している大学は、それでもまだ存在価値が認められます。マネジメントやメディアを冠したカタカナ学部では一体どんな教育がなされているのでしょうか。学位価値は続落どころか消滅の危機に晒されているように思います。

収束の兆しが見られないコロナ危機下、遠隔授業は相応の効果を上げていると言われます。アフターコロナの世界で真っ先に大きな変容を迫られるべきは教育現場、特に最高学府ではないでしょうか。大学は厳しい淘汰の時代に突入することでしょう。

ミスター代ゼミの受験の常識

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