中央区明石町界隈〜学校発祥の地めぐり〜

毎年12月に入ると人間ドック受診に聖路加国際病院附属クリニック(中央区明石町8-1)を訪れることにしています。自宅から小一時間かかりますが、長年通っているのでフローに慣れている上、当日に担当医師と面談が組まれ大凡結果が分かるので、重宝しています。

週末でお天気も良かったので、日比谷線築地駅から直帰するのはやめにして、東京駅まで歩くことにしました。聖路加国際病院周辺に慶應義塾や女子学院などの学校発祥の記念碑があることは見知っていたのですが、居留地中央通りを北進すると数分で左手にハチミツ色をした堂々たる佇まいの明石小学校が見えてきました。2010年に建替えられる前の校舎は、鉄筋コンクリート造の先駆けで竣工は大正15(1926)年に遡ります。明石小学校と道挟んで東側にはドーリア式柱が印象的なカトリック築地教会(関東大震災で焼失・1927年再建)があります。周辺には暁星学園雙葉学園発祥の地の記念碑が設置され、さながら学校発祥の地めぐりをしているようでした。両校の現在の所在地は千代田区富士見や同六番町ですが、中央区明石町が発祥の地だったわけです。幕末から明治にかけて外国人居留地だったことが、ミッション系の学校が次々とこの地で誕生した所以なのでしょう。

郊外に住んでいると、明石町界隈を散策する機会などめったにありません。たまには寄り道をしてみるものです。亀島橋を渡った西詰には、芭蕉の句碑や説明板が設置されていました。設置者は、「中央区水とみどりの課」とあります。東洲斎写楽伊能忠敬が八丁堀亀島町に居を構えていたことを初めて知りました。寄り道のお蔭で江戸時代初期から幕末明治へと思わぬタイムスリップを愉しめました。寄り道の効用を見くびってはなりません。