立花隆さんの後悔〜森羅万象への尽きることのない好奇心の代償〜

立花隆さんの著作を貪るように読んだ時期がありました。20代で出会った『宇宙からの帰還』(1983年)を皮切りサイエンスの世界に切り込んで次々と刊行される氏の著作は殆ど目を通したはずです。どこまで理解できたかは甚だ心許ないのですが、日本人ノーベル賞受賞者の業績を素人にも分かり易く紹介した『精神と物質』(1990年)や『小林・益川理論の証明』(2009年)は、立花さんらしい徹底的な調査や取材に基づくものです。宇宙、サル学、脳、臨死体験と多様な分野へ関心が波及し、その勢いたるや、サイエンスに疎い新聞・雑誌ジャーナリズムを嘲笑うかのようでした。

「関心がある分野は最低10冊は読むべきだ」という読書の達人立花さんのアドバイスは今も大切にしています。自分自身、ジャズ、ワイン、歌舞伎、登山と関心が芽生えた分野に関しては、少なくとも5冊は関連書籍(基本書)を購読するようにしています。何事においても先達はあらま欲しきかなということでしょうか。

幼い頃から早熟で読書家だった少年橘隆志君(本名)は、小学校3年生にして山本有三全集や吉川英治の『三国志』を読破、中学生になると河出版「世界文学全集」に触手を伸ばします。高校時代は受験勉強に時間を取られ読書量は激減したといいます。

立花さんは、出世作田中角栄研究」(1974年)に費やした厖大な時間を後年後悔したと言われています。金権腐敗政治の解明に注いだ時間をもっとエキサイティングな分野へ充てたかったということでしょう。文学に過度に偏った読書体験についても、同じような思いを吐露されています。40代以降の先端サイエンス分野への傾斜は、そうした後悔の裏返しに思えてなりません。立花さんの100冊を超える著作のなかで、印象深い異色の一冊を挙げるとすれば、「シベリア・シリーズ」で知られる洋画家香月泰男に光を当てた『シベリア鎮魂歌-香月泰男の世界』(2004年)になります。

インターネットの普及・進化によって、立花さんが調べることに費やした膨大な時間は大幅に短縮されることになりました。「知の巨人」という称号を立花さんは晩年苦々しく思っていたのではないでしょうか。

立花さんが亡くなったのは4月30日(享年80歳)のこと。2ヶ月弱、メディアが沈黙していたのが不可思議でなりません。