吉村昭の歴史小説の舞台裏~「父・吉村昭を振り返る」講演録より~

先月下旬、三鷹ネットワーク大学で「父・吉村昭を振り返る」と題した講演会が開催されました。講師は吉村司氏(故吉村昭津村節子夫妻の長男)。幸い、当選したので会場で聴講(抽選制)できました。興味深い内容でしたので、吉村文学に関心のある方は、3/21まで期間限定配信中のYouTubeの「三鷹市スポーツと文化部チャンネル」に是非アクセス下さい。

吉村夫妻のご自宅は、井の頭恩賜公園の一角にあります。離れの書斎が近隣に移築され公開される計画があるようです。吉村昭は、史料を徹底的に漁り、現地に幾度も足を運んで取材を重ねる、実証的アプローチを得意とする小説家です。厖大な作品群(研究家によれば371作品)において、太宰賞を受賞した『星への旅』に代表されるフィクションは寧ろ少数派で、その軸足は圧倒的に記録文学にあります。「戦記文学」というジャンルを確立したのは吉村昭だと言われています。

以前、購読した『歴史を記録する』(吉村昭著・河出書房・2007年12月初版)の帯には、<桜田門外三月三日、雪は何時にやんだのか、それがわからないと小説は書けない>とあります。この言葉どおり、吉村昭は徹底した取材を重ね、リアリティ溢れる精緻な描写にこだわります。伊号潜水艦が損傷して浸水すると、真っ暗闇のなか生存者の頭に夜光虫が集まり、電球が浮かびあがったように見えた(『深海の使者』)というようなエピソードは、実際に潜水艦の生き残り乗組員に取材しないかぎり、想像だにできない光景です。戦艦が沈没する際、脱出しようとする乗組員が船腹に付着した藤壺で怪我をするというエピソードも同様です。幕末、薩摩藩島津久光大名行列に遭遇した騎乗のイギリス人4名のうちひとりが斬殺された「生麦事件」に関連して、吉村昭は、薩摩藩士が馬の上にいる長身のイギリス人をどう斬ったのか、その一点を知るために、小説ではたった二行のために鹿児島へ足を運びます。そして、斬った薩摩藩士は野太自顕流の使い手で、まず脇腹を抜きで斬り相手が前屈みになったところを袈裟懸けに斬るという技があることまで調べ上げてしまいます。

もっと評価されていいはずの、スポットライトを浴びるでもなく埋もれてしまった歴史上の人物を発掘してくるのも、吉村昭の得意とするところでした。『ポーツマスの旗』では、全力を尽くしてロシアと講和を結びながら国賊と罵られた短躯の外相小村寿太郎を取り上げ偉大な外交官としての側面を詳らかにし、『冬の鷹』では、杉田玄白の蔭に隠れた『解体新書』の主幹翻訳者前野良沢に光を当てます。先の『歴史を記録する』には、学究肌の前野良沢は出版を急ぐ杉田玄白に対して、まだ不完全な翻訳なので自分の名を出さないで欲しいと述べたとあります。真の功労者を探り当て、吉村昭は隠された歴史の真実に迫ろうとします。

吉村昭は、息子や娘に作品を褒めてもらうのを一番喜んだといいます。司さんは、父親の生前、もっと作品を特に歴史小説を褒めておけば良かったと後悔しているそうです。NHK大河ドラマを見ながら配偶者に史実と違うと文句ばかり垂れる吉村さんの苦虫をつぶしたような表情を想像すると笑えます。文壇で屈指の酒豪だったことや、一家の主として不退転の覚悟で脱サラし執筆に専念した吉村昭の家庭人としての一面に触れて、作品世界への興味がより募ったように思います。

最後に、司さんイチオシのドキュメンタリーのバイブルとされる『戦艦武蔵ノート』は近いうちに手にとってみるつもりです。吉村昭が全身全霊をかけて死に物狂いで書いたという代表作『戦艦武蔵』の取材ノートは謂わば種明かし篇なのでしょう。大宅壮一は、吉村昭との対談において、「小説の『戦艦武蔵』より、『戦艦武蔵ノート』の方がよっぽど、ボクはおもしろかった。あの「ノート」にはあなたの執念ぶかいところがよくでている」と述べています。

戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)

戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)

  • 作者:吉村 昭
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫

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