体験的井上ひさし伝〜「没後10年井上ひさし展-希望の橋渡しする人」展より〜

3連休初日、敬愛する井上ひさしの没後10年展 を見たくて、3年ぶりに世田谷文学館を訪れました。没後30年の「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」展以来となります。

井上ひさしとの出会いは、文学作品ではなく、NHK総合テレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」。娯楽に乏しい小学生の時分、リアルタイムでテレビにしがみついたものでした。細かいストーリーは忘れても、♫だけど僕らはくじけない〜泣くのは嫌だ笑っちゃおう〜、主題歌だけは頭こびりついて離れません。

虜になった初めての新聞小説は『偽原始人』(朝日新聞社刊・絶版)でした。小学生の夏休みを描いたこの小説は、窮屈な大人社会や学歴社会への鋭い風刺と批判に満ちていて、隠れた傑作ではないでしょうか。

内外のミステリー小説に傾倒し始めた高校時代に一番感心したのは、『十二人の手紙』(中公文庫)でした。数ヶ月前、近所の啓文堂で派手なポップと共に同文庫版が平積みされているのには驚きました。「旧作文庫の発掘企画」の一環で中央公論新社が新聞広告も打っていて、今も版を重ねているそうです。これは超おススメの名作です。

代表作にしてSF大作『吉里吉里人』は、東北の限界集落が「吉里吉里国」を名乗って日本国から独立するストーリー。東北弁を駆使しながら上質なエンターテイメント作品に仕上がっています。一方で、作者の社会への問題意識が一気に噴出した作品でもあります。通貨高権、食糧自給率、税制等々、国家とは何かを深く考えさせる契機を与えてくれます。こう書いているうちに、「公文書が消える国」と題した「耕論」の記事(朝日新聞・2020/1/22)を年初に読んだときの記憶が甦りました。平気で政権に都合の悪い公文書を破棄するこの国を(歴史)資料蒐集に心血を注いだ井上ひさしはどう思うでしょうか。

井上ひさしは数多くの戯曲を手掛けていて、ご存命中に幾度となく話題になったこまつ座の舞台を観なかったのは悔やまれてなりません。本展のサブタイトル、<希望へ橋渡しする人>は、最後の戯曲「組曲虐殺」(2009年)のこんな台詞のなかに登場します。

「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。絶望から希望へ橋渡しする人がいないものだろうか-いや、いないことはない」

本展の見どころのひとつは創作の作法です。井上ひさしが創作に際して作成するという手書き年譜には細かい書き込みがあって、史実と照らし合わせながら、その間隙や隙間に想像力を掻き立てる痕跡が見て取れます。戯曲の場合、栄養ドリンクの空箱で三角錐を自作して、役者の写真を貼りつけるのだそうです。やがて、紙人形に魂が宿って、勝手に動き始めるのだといいます。紙人形を転がしながら劇作に熱中する井上ひさしを想像すると思わず笑みがこぼれます。

会場出口手前に据え置かれたDVDプレーヤーからは、井上ひさしが子どもたちに向けて書いた『井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法』(絵:いわさきちひろ)の音声が流れています。子どもたちだけではなく大人にこそ静聴して欲しい素晴らしい内容でした。「治者と非治者の自同性」をこれほどやさしく明快に紡いだ言葉を自分は知りません。「よく考えられたことばこそ、私たちのほんとうの力なのだ」、その通りだと思います。

最後にこれまで井上ひさしから教わった文章作法や読書作法の幾つかを書き留めておきます。こうした教えを日々大切な心得とさせてもらっています。また、蔵書の多くにびっしりと貼られた付箋には細かい文字で書き込みがありました。作文(創作)の心得はそのまま読書にも通じます。深く読むこと、読み解いていくことを生涯心掛けた井上ひさしの姿勢から多くを学ばなければなりません。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」


・短い文章を心掛ける(主語・述語が1組、一文は長くても5行前後、60字以内)
・主語と述語を明確にして、お互いを遠ざけない
・一般論は避けて、自分にしか書けないことを書く、常に自分を語れ
・誰にでも分かる文章で書く


・本は手が記憶する(本の読み方十箇条より)
・個人全集をまとめ読み (同上)

井上ひさしの舞台に登場した役者さんたちが勧める『雨』や『父と暮らせば』(全編広島ことば)はまだ手に取ったことがありません。没後10年をきっかけに未開拓の井上ひさし作品を少しづつ読み進めようと思っています。

十二人の手紙 (中公文庫)

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本の運命 (文春文庫)

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