"The Remains of the Day" by Kazuo Ishiguro

昨夜、PCに向かっていたら日経電子版のヘッドラインに<カズオ・イシグロ ノーベル文学賞受賞>とポップが現れ、一瞬、手が止まりました。『日の名残り』を読んで以来、ひそかに愛読していた作家の受賞だったからです。普遍的な文学性と緻密な文体を評価した今年の選考は、とても納得感があります。英国のオッズではケニアの作家が有力視されていたようですが、英語圏の作者の方が日本人にとって触れる機会が多く、受賞を身近に感じることができます。短編の名手アリス・マンローが受賞したとき以来のお気に入り作家の受賞となりました。

映画化もされた”The Remains of the Day”(邦題『日の名残り』)で、一躍、カズオ・イシグロは世界的名声を獲得しました。三作目となるこの作品は英国で最も権威のあるブッカー賞を受賞しています。この作品を読んだとき静かな衝撃に襲われました。貴族邸に忠実に仕える老執事スティーヴンスの回想を綴ったもので、作者の最高傑作といえるのではないでしょうか。ノスタルジックな風景や人々の無垢な記憶を丹念にたどる作風が作品世界の魅力のひとつです。

結末シーンは夕暮れ時の桟橋です。主人公スティーヴンスが年輩男性に"The evening's the best part of the day"(夕方こそ一日でいちばんいい時間だ)と話しかけられるシーンが強く印象に残っています。父の死、女中頭ミス・ケントンへの想い、過去の同僚との友情、政治情勢に対する私見、それらすべてを押し殺して最後まで執事としての職務を全うしたスティーヴンス、老境を迎えた彼の姿は黄昏時の桟橋風景と重なり合います。抑制(の効いた人生)という言葉は彼のためにあるのかも知れません。静かに終幕を迎えるかに見えたスティーヴンスは、人生の残照を眺めながらも、ユーモアを交えた決意を胸に第二の人生に立ち向かいます。胸中をときおり去来するに違いない落胆や失意を、執事としての矜持が堰き止めるそんな生き様に、読者は深い感銘を覚えるのです。

カズオ・イシグロノーベル賞受賞を機に、1989年に出版された『日の名残り』を再読してみようと思っています。自分も年を重ねて、『日の名残り』の主人公の内省により共感できるような気がします。35歳のときにこの傑作を完成させてしまうカズオ・イシグロ(の才能)は只者ではなかった。