大江健三郎さんとの邂逅|詩を愛した稀有の小説家

大江健三郎さんが逝去されました。過去に一度、大江さんと直にお話しする機会がありました。生前の大江さんの誠実なお人柄を偲ばせる貴重なエピソードなのでご紹介したいと思います。

時は1993年11月25日に遡ります。出張先で仕事を終えてJR京都駅から東海道新幹線に乗り込むと、同じ車両に大江さんが乗車されていたのです。ロイド眼鏡をかけた独特の風貌ですぐ分かりました。通路側に座って本をお読みになっていたと記憶しています。

グリーン車の窓際に腰を下ろした上司Nさんに「すぐ近くに作家の大江健三郎さんがいらっしゃいます」と囁きました。Nさんはご存じないのか気がつかなかったようです。しばらく胸が騒いで落ち着きません。手が届きそうなほど近くにいらっしゃる大江さんにお声掛けしたくて堪らなかったからです。

仕事用のcoach社製メモパッドには厚手のメモ用紙が数枚残っています。思い切って大江さんの座席に駆け寄り、真新しいメモ用紙を差し出して、図々しくも「大江先生のご著書を愛読している者です。何かお言葉を書いて頂けないでしょうか?」と平身低頭お願いしました。軽く会釈され快く応じて下さった大江さんは、荷物棚から鞄を下ろしモンブランの極太万年筆を取り出すと、瞬く間に写真(下)のようなリズミカルで口ずさみたくなるような美しい詩(中野重治「十月」)を書いて下さったのです。しかも、これほど秋にふさわしい詩はありません。サインを強請ったのではなかったのが幸いしたのかも知れません。冷気が頬を撫でる秋が訪れるたびに「十月」(原詩は印刷紙面)を読み返します。

重ねてお礼を申し上げて指定席に戻ると、Nさんが驚いたように紙片を眺め「僕にも貰えないかな」と呟きました。顔から火が出る思いで再び大江さんに懇願したところ、再び棚から鞄を下ろしてペンを取り上げ、(数えきれないほどの詩を)諳んじていらっしゃるのでしょう、今度は三好達治の詩「桃の花咲く」を上司のために書いて下さいました。

<桃の花咲く裏庭に あはれもふかく雪はふる 明日をなき日と思はせて くらき空より雪はふる> 

大江さんは、ノーベル文学賞受賞後のNHKの対談番組(対談相手は立花隆さん)で「詩は文学で最高のもの」「自分も詩人を志したが、谷川俊太郎という天才が現れたので諦めた」と仰っていました。大江さんは高校の頃から三好達治、中也、朔太郎らの詩作を愛読していたそうです。詩集を擦り切れるほど読んで愛誦していたに違いありません。『懐かしい年への手紙』ではイェイツやダンテが取り上げられています。

学生運動が急速に萎んだ時期に大学に入学したので、大江さんの「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」には触発されました。文学的成功にとどまらず、非核・反戦の訴えを続けた戦後日本の良心・大江健三郎さんのご逝去を悼み、衷心よりお悔やみ申し上げます。