『下町ロケット ゴースト』に登場するパテントロイヤーの役割

最新作の『下町ロケット ゴースト』に再びパテントロイヤー神谷弁護士が登場します。最新作『下町ロケット ゴースト』の内容は、今秋刊行される『下町ロケット ヤタガラス』の前篇という位置づけで、あらたに登場したギアゴーストというベンチャー企業の共同経営者ふたりが袂を分かつところで終わってしまいます。大方の読者は欲求不満に陥ってしまったのではないでしょうか。今秋まで結末はお預けです。

従って、最新作の具体的な内容に触れるのは止して、物語の山場に登場し知財訴訟で不敗神話を守った神谷弁護士にスポットを当ててみることにします。日本では企業法務を扱う弁護士、俗に渉外弁護士と呼ばれるクロスボーダー案件を手掛ける弁護士が花形です。刑事事件の弁護に登場する人権派弁護士とは対極に位置します。TVドラマに登場するビシッとスーツに身を包んだ颯爽たる弁護士が概ねこうしたビジネスロイヤーです。弁護士人口の多いアメリカでは、特許専門弁護士のことをパテントロイヤーと呼び、MITなどの理系大学院を卒業した切れ者が企業の知的財産権(知財)の保護・管理に重要な役割を果たしています。日本の弁理士(法曹資格で兼任可)がそれに近い存在ですが、日本弁理士会会員数は、2017/3/31時点でわずか11057名(内395人弁護士)に過ぎません。理系出身者が80%弱を占めますが、絶対的数がそもそも不足しています。これでは米国をはじめ技術立国の企業とのパテント紛争に巻き込まれた場合、かなり不利な展開になるような気がします。

下町ロケット』に登場する神谷弁護士のプロファイルはこんな風に紹介されています。

<技術系の大学を出た後、しばらくメーカー勤務しながら一旦弁理士になり、その後、法律を勉強して司法試験を突破したという神谷の経歴は、まさに今の佃製作所が必要としているものと一致している>
<神谷の探究心は、弁護士的というより、佃にとって馴染みのある研究者のそれだ>
民間企業であれば、長期間にわたって巨額の開発費を投じた研究成果を他社に横取りされたり模倣されたりしないように、特許取得を励行するはずです。『下町ロケット』は、テンポのいい一級のエンタテインメント小説であると同時に、知財保護という日本人の不得手な領域に切り込んだ点で先進的なのです。

下町ロケット』が刊行された2010年11月、今日、さまざまな分野で活用されているクロスカップリング手法開発でノーベル化学賞を受賞した鈴木章根岸英一両氏は、特許出願をしなかったため、その成果は広く応用され普及したといわれています。ノーベル賞受賞者のなかには、特許出願せず研究成果を普く社会還元する選択をする研究者も少なくありません。ただ、先の両氏が出願しなかったのは、資金面や手続き面で制約があったからだと指摘されます。こうした恵まれない大学所属の研究者に対して、島津製作所に勤務しながらノーベル賞を受賞した田中耕一氏は、二桁の特許出願を行なっています。

最新作では、法務部などのスタッフ部門が手薄なベンチャー企業が上場企業につけ込まれ一方的に特許訴訟を仕掛けられるシーンが登場します。地道な企業努力でもたらされる研究成果がM&Aの標的とされ、研究開発に携わった研究者や私企業が報われないことのないように、資金面で不安のある出願希望者をサポートする公的支援制度が求められます。東京高裁に知的財産高等裁判所が設けられたのは2005年、13年前に過ぎません。かつてのように、日本が技術立国として再び輝きを取り戻すためには為すべきことが山積しています。サイエンスやテクノロジーに明るい知財に関わる人材を法曹界にも民間企業にも増やしていくことが急務です。『下町ロケット』シリーズが、そのコンテクストにおいて、時宜にかなった問題提起をしている点を見逃してはなりません。

下町ロケット ゴースト

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