毎年、年末になると書評子が今年印象に残った本を新聞をはじめ各種メディアが取り上げます。これに倣って2021年のマイベストを問われたら、文句なしに『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』と答えるでしょう。作者・堀川惠子さんは、広島テレビ女性初の報道記者(1992年-2004年)を経て、硬派のノンフィクション作家として活躍されています。遡れば、堀川さんの本との出会いは『チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ』(共著者・小笠原信之|2005年 日本評論社・講談社文庫)でした。鮮烈な作家デビューを果たされて以降、徹底した取材と資料収集を通じて次々と話題作を上梓されています。ノンフィクション部門では思いつくかぎりの賞を獲得されています。堀川惠子推しとしては、論客揃いの大佛次郎賞選考委員諸氏を唸らせた『暁の宇品』を彼女の作家活動の集大成と位置づけています。
宇品(うじな)とは、日本軍最大の乗船・輸送基地が置かれていた広島の港(現;広島市港区)のことです。宇品地区に「陸軍船舶司令部」(通称:「暁部隊」)が設置され、補給と兵站を一手に担っていたのです。戦史に明るいつもりでしたが、海軍ではなく陸軍が海上輸送(兵士乗船・補給・陸揚げ等)を引き受けていたとは想像だにしませんでした。ヒロシマになぜ人類初の原爆が投下されたのかという問題意識から発して、戦争を破局に導いた不都合な真実を徹底的に追求した堀川さんの面目躍如といったところでしょうか。梯久美子さんがご遺族に取材して書き上げた傑作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(2006年大宅壮一ノンフィクション賞受賞)に共通するテーマを掘り下げた作品だと感じました。
私事で恐縮ですが、本書を読み進めるうちに、スイス三大銀行(1990年代)のひとつUBSに勤務していたときの記憶が甦りました。邦銀が事務方(バック)と呼び習わす間接部門を、UBSは軍隊用語に擬えて「ロジスティックス」と呼んでいました。「ロジスティクス」すなわち「兵站」です。敷衍すれば、戦闘地域(前線)から見た後方支援活動全般を意図した組織名です。スイスの銀行が間接部門を営業部門と並ぶ両輪と捉えていたのに対し、当時から邦銀は営業部門を重視する傾向が強かったように思います。システムトラブルを繰り返し金融庁から再三業務改善命令を受けるみずほ銀行は、IT部門を軽視した結果、いまだに宿痾から逃れられないでいます。ビジネスを現代の戦と捉えれば、ロジスティクスを軽視する企業の行く末は衰退・破綻しかありません。
太平洋戦争を振り返れば、軍部中央は恰も集団催眠にかかったかの如く版図を拡大することに執着しました。自己革新と軍事的合理性の飽くなき追求を怠り、輸送や兵站を軽視した結果が先の戦争の無残な敗北でした。第一次世界大戦で日英同盟を理由に連合国側に参戦しながら、経済力・軍事力を総動員する近代戦の何たるかを学ばなかった帝国陸軍の無知蒙昧ぶりが本書で浮き彫りにされています。前半は、「船舶の神」こと田尻昌次中将が遺した全13巻に及ぶ『自叙伝』を基に、民間船舶の徴用に頼る船舶輸送全般の見直しを図ろうと奮闘する田尻中将を、後半は原爆投下時の陸軍船舶司令官佐伯文郎中将にスポットを当てています。
巻を措く能わず。より多くの人に読んでもらいたい第一級のノンフィクション作品です。