シン・ゴジラ≒福島第一原発からクライシスマネジメントを学ぶ

劇場で見そびれた「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)をwowowで視聴、5.1chに切り替えるとサブウーハーからはゴジラの跫音が重低音でリビングに響いてなかなかの迫力でした。エヴァの監督庵野秀明が総監督・脚本を務めたため、ゴジラファンのみならずアニメ世代の注目も集め、過去のゴジラ映画とは一線を画した監督独自の世界観を表現した作品であると評されています。



冒頭、出現したゴジラもどきを見て石見神楽に登場する八岐大蛇かと思いました。ずいぶんお茶目な姿だったので失笑したくらいです。期待外れの邦画かなと思いつつ辛抱しながら展開を見守ると、謎の巨大生物の正体が次第に明らかになり、鎌倉沖からゴジラが再上陸すると冒頭のもどきとは似ても似つかぬ堂々たる体躯が顕わになりました。背部から四方八方に発せられる無数の光線は恰もレーザービーム、その破壊力は凄まじいもので高層ビルを一気になぎ倒していきます。

突然襲ってきた未曽有の国難を前にして、官邸は対処に右往左往することになります。有効な打開策が見つからないまま被害は急速に拡大し、内閣は首都崩落も覚悟、国連安保理が決議した熱核攻撃を受け容れるかどうかの決断を迫られます。唯一の被爆国日本が首都を標的とした3度目の核攻撃を受けてしまうのか・・・

この映画を見ながら、途中からゴジラは制御不能に陥った福島第一原発ではないかと思い始めました。当選回数や派閥が重視される旧態依然内閣がなす術なく合衆国による政治介入に屈する一方で、特別に編成されたタスクフォース<巨災対>がゴジラの正体の解明とその対処に挑みます。当事者能力を喪った旧勢力に相当するのが菅総理を頂く民主党内閣と東京電力それに御用学者の連中、不眠不休で現場陣頭指揮を執り決死隊を編成して困難なベントに挑む吉田1F所長と協力企業の社員たち・・・似ていませんか。一刻を争う海水注入をめぐって再臨界を懸念する班目安全委員会委員長が玉虫色の発言を繰り返し、東電武黒フェローが官邸の意向を忖度して海水注入を中断させようとしましたね。360万人を疎開させるシーンは、東日本大震災のとき東京を含む半径250キロを避難区域対象と想定した最悪シナリオを彷彿とさせます。庵野総監督は間違いなく3.11をシン・ゴジラで再現したかったのだと思います。

巨災対>結成時のミーティングで厚労省課長はこう言い放ちます。

「ま、便宜上私が仕切るが、そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。気にせず好きにやってくれ」

痛快なメッセージではありませんか。省庁間の縦割りは忘れていいというわけです。総理一行が立川広域防災基地(現実に存在し内閣災害対策本部の予備施設という位置づけです)に移動しようとヘリコプターに乗り込んだ瞬間、ゴジラのまばゆい光線が襲います。主要閣僚を失って臨時内閣こそ発足したものの、熱核攻撃のカウントダウンが始まり、<巨災対>も追い詰められていきます。生来冷静なはずの官房副長官兼<巨災対>事務局長の矢口(長谷川博巳)が思わず激高した直後、同輩の泉政調副会長がペットボトルを胸に押し当て「まずは君が落ち着け」とやんわり諭します。このシーンが一番印象的でした。東日本大震災のとき、一国のトップでありながら首都を離れ現地視察を強行した菅総理を諫める者は誰もいませんでした。

リーダーとはどうあるべきか、危機事態が発生した場合、官僚機構を含む行政組織全体をどう実効的な組織に組み替えて、発生中の被害を最小化していくのか、「シン・ゴジラ」はクライシスマネジメントの教科書として活用できそうです。