「この世界の片隅に」〜銃後の暮らしを描いた佳作〜


「昭和20年、広島・呉 わたしはここで生きている」というポスターのサブタイトルがじんわりと心に染み入るような映画でした。乏しい製作費をクラウドファンディンで賄ったこの作品に徐々に共感の輪が広がり、全国公開に至ったと聞きます。原作はこうの史代さん(広島県出身)の漫画だそうです。冒頭の舞台は広島、瀬戸内海の豊かな自然に育まれた子供たちが浜辺で戯れる光景が印象的です。そんなほのぼのとした日々の暮らしに少しずつ変化が訪れ、やがて要所要所でスクリーンに日付が表示されるようになります。主人公すずが生まれた町広島に原子爆弾が投下される日を知っている観客は、固唾を呑んで成り行きを見守ることになります。

ところが、時計の針はじれったいほどゆっくりとしか進みません。18歳で呉に嫁いできたすずは、優しい旦那さんとその家族に囲まれ、穏やかな毎日を送っています。観客は心配しているような出来事が起きないことに胸を撫で下ろします。戦争が始まって、周囲の大人たちは次第に戦時色に染まっていきますが、呑気な性格のすずはマイペースを崩しません。

幼い頃から絵の得意なすずは、いつもスケッチブックやノートを携えています。ある日、自宅近くの高台から戦艦や巡洋艦の浮かぶ港を描いていると、背後から突然憲兵がやってきて、すずは厳しく咎められます。自宅に連れ戻されたすずは間諜呼ばわりされた上、家族共々叱責を受けることに。なのに、憲兵がようやく立ち去ると家族は大笑い。戦争がもたらす様々な不条理を、北條家の人々は諾々と受け容れながらも、ささやかな暮らしを守るための創意工夫を決して忘れません。配給される食材は日々減っていく一方なのに、厨房を任されたすずは粗食を少しでも美味しくしようと工夫を凝らします。笑いの絶えない食卓、着物を仕立て直したモンペ、代用炭団・・・衣食住という暮らしの骨組みは些かも揺るぐことはありません。

ありふれた暮らしの大切さを、普通でいられることの幸せを、平和な時代の日常生活のなかで体感することは実に難しいものです。戦争が長引き昭和20年6月を迎えると、すずが愚直に守ってきた暮らしは突如暗転します。直面した出来事にすずは心身共に打ちのめされます。喪ったものへのすずの記憶が衝撃的な映像となって一気に噴出します。


そして、終戦。灯火管制が解除されると漆黒だった呉の峰々に灯りがひとつふたつと点り始めます。終盤、原作者が「この世界の片隅に」というタイトルに込めた思いを知り、静かな感動に包まれました。原作最終回には「しあわせの手紙」という心温まるリリックが添えてあるのだそうです。一度、原作(写真上のひとこまはこうのさんのインタビュー記事から拝借しました)にも触れてみようと思っています。