<涸沢カール>山行(3)〜涸沢ヒュッテ嵐の一夜〜

涸沢ヒュッテ到着後、寝る場所が決まると、早速、パノラマテラスで一服することに。早速、1400円払って名物おでんセットを買い求めました。気温はかなり下がってきたものの、山道を7時間あまり歩いてきた甲斐あって、ジョッキで麦酒を呷れば最高な気分を味わえました。

標高2300メートルのモーレン(氷河堆積)の上に立つのが涸沢ヒュッテです。カール(Kar)はドイツ語で氷河の浸食によって出来た山頂直下の窪んでいる地形のことをいいます。スプーンですくったようなお椀形状なので「圏谷」とも呼ばれます。日本で最初に発見された立山の山崎カールや千畳敷カールは天然記念物に指定されています。日本で氷河地形の見られるのは日高山脈日本アルプス山頂付近だけで、長い年月をかけて形成されるものなのです。

さて、ヒュッテの定員は180名、ところが紅葉のハイシーズンともなると定員の3倍の予約が入るのだそうです。言い換えれば、1組の布団で3人が寝ることを覚悟しなければならないということです。案の定、受付で今夜は布団1組2人でお願いしますと頼まれました。どう寝るかというと、枕を上下に置いて、他人の足を横にして就寝するわけです。布団1組3人こそ免れましたが・・・混雑することは間違いなさそうです。ちなみに宿泊代金は1泊2食付きで9500円です(2016/10現在)。


夕食の17:30まで、パノラマテラスにとどまり、日没後の薄明景色もカメラに収めておきました。次第に風雨が強くなり、戸外で食事を提供する売店カウンターにもとうとうシャッターが下ろされてしまいました。夕食時刻になったので食堂へ移動、山小屋の食事とは思えない充実した中身だったので完食させて頂きました。壁に掛けられた白籏史朗の写真があまりに見事だったので食後しばらく見とれてしまいました。今年の紅葉は先月27日がピーク、ナナカマドの燃えるような景色を見損なっただけに、額装された白籏史朗の写真のお蔭で想像だけは膨らませることができました。

山小屋の消灯は21時、明朝のモルゲンロート狙いの山行だったので20時には床に入りました。風雨が一層強まり、予約客が次々とキャンセルしたのでしょう、ひとり布団一組確保が叶いました。天候さえ崩れなければテント泊は数百幕にはなったことでしょう、ところが外を眺めるとテントの数が異様に少ない。小屋泊組は寝遅れるといびきと寝言・譫言の洗礼にさらされるのでとりあえず横になったものの、なかなか寝つけません。21時を過ぎると、経験したことない風雨がヒュッテを襲いました。23時前後には地響きを伴って小屋全体が大きく揺れるではありませんか。熟睡の宿泊客でさえ大音響に驚いて思わず飛び起きたことでしょう。窓ガラスが割れ屋根が吹き飛ぶことも覚悟しました。

窓の隙間から間断なく流れ込む雨水のせいで、窓際宿泊客の枕元におかれたスマホや携行品はずぶ濡れ状態に見えました。楽しみにしていた翌朝のモルゲンロートは絶望的となり、不安な一夜を過ごすことに。零時過ぎ、土間に行くと、山ガール2人がシュラフにくるまって寝ていました。テントから避難してきたに違いありません。