衰退著しい岐阜市街


7月半ばに中学の同窓会があって、4年数ヶ月ぶりに故郷の岐阜に帰りました。同窓会の会場は、柳ケ瀬と呼ばれる繁華街の一角にある中華料理店でした。夕方、タクシーで会場近くにたどり着いて先ず驚いたことは、アーケード商店街の寂びれぶりでした。日曜日にもかかわらずシャッターの閉まった店が目立ち人影も見当たりません。往時の面影はどこへやらです。

90年代に両親が他界した時期、法事で帰省するたびに衰退が進む中心部の惨状に心を痛めていましたが、今はさらに深刻な状況を呈しているように感じます。かつて存在した大型商業施設5店舗のうち4店舗が撤退したという現実からも、岐阜市の窮状は明らかです。1980年頃と比べて市の人口が著しく減ったわけではないので、衰退の原因はどうやらほかにありそうです。

鉄道旅客域内移動率という面白いデータがあります。この域内移動率が最も低いのが岐阜県で何と47.20%。岐阜県を出る鉄道旅客の半分以上が他県に出ており、鉄道利用者の多くが名古屋圏に通勤していると推測されます。つまり、住民を居住地に引き留める職場やショッピングエリアが岐阜には乏しいということです。

鉄道ファンとしてもうひとつ気になったのが、2005年4月1日に路面電車三路線が廃止されたこと。市議会は1967年に路面電車廃止決議を行っていますから、念願かなったりということでしょうが、却って市民の公共交通離れを招いたと指摘されています。モ510形には格別の愛着を感じていただけに残念でなりません。欧米ではLRT(次世代型路面電車システム)が主流ですから、時代に逆行する動きだという見方も成立します。街の活性化に路面電車は寧ろプラスだと思うのですが・・・

活気がなくてパッとしない県庁所在地といえば、前橋市岐阜市が双璧のようです。岐阜市の2015年度最高路線価は400千円/平方メートル・・・土地価格の推移を見ると自ずと市勢が分かるというものですね。

昨年、高島屋市街地再開発事業が本格始動したので、岐阜市の行く末に少し明るい兆しが見えてきたのかも知れません。そんななか、長年放置していた実家の敷地を売却することに決めました。その理由はあらためて記事にするつもりです。