「老後レス時代」の到来に寄せて〜麻生嘆き節(2008/11)に共感する〜

休日にボランティアをしていると、70代80代のアクティブシニアにお目にかかることは稀ではありません。年金に頼らずいまだに働いている方もいらっしゃいます。政府は今月初めに「70歳まで働く機会の確保」を企業の努力目標とする関連法案を閣議決定しましたが、身の周りにはこうした動きを先取りした年寄りが現に存在するのです。

「老後レス時代」(2020年2月24日の朝日新聞朝刊記者解説より)が当たり前になることに対して現役世代はどう見ているのでしょうか。早めに逃げ切った団塊の世代はともかく、現役世代の多数はやり切れない思いを抱えているのではないでしょうか。

平均寿命は確かに延びたかも知れませんが、足元の健康寿命は男性女性それぞれ72歳と75歳。仮に家族を養うために懸命に働き定年(60歳)を迎えると仮定して、残された元気でいられる余生は12年に過ぎないのです。30代40代でイメージする「老後レス時代」と60歳間近になって受け止めなければならない「老後レス時代」は明らかに別世界です。今や社会問題化している老々介護の問題も無視できません。職場に老人が増えると、溌剌とした雰囲気が削がれ、職場環境が劣化するような気もします。

人間も動物である以上、寿命が多少延びたからといって、30年も働き続ければ相当に肉体も精神もくたびれてきます。おまけに職種によって蓄積された肉体疲労は大きく異なります。これまでどおり、60歳で現役引退と線引きすることには一定の合理性があります。サラリーマンやOLで働きたい人は自分の意思で嘱託契約を更新すればいいだけです。70歳まで働ける機会確保はあくまで雇用される側のオプションであって、強制される筋合いのものではありません。政府がいずれご都合主義を発揮して、民間企業に一定の高齢者就業率を維持するよう迫る動きに出るかも知れません。

問題の本質は増大する医療費(2018年度42兆6000億円・1人あたり33万7000円!)負担を社会全体でどう負担していくかということ。少子化に歯止めをかけピラミッド型人口構成を取り戻していくと共に、生産性の拡大が急務です。首都圏では満員電車による通勤が大きなストレス元になっています。テレワークを積極的に活用して、勤労に伴うさまざまな負荷を軽減する措置も必要です。長期休暇取得を促し、現役世代のライフワークバランス(ワークライフバランスではありません!)を向上させることが、生産性アップに繋がるはずです。

12年前、総理大臣だった麻生さん(当時68歳)がこんなことを経済財政諮問会議の席上でぼやいています。

「67歳、68歳になって同窓会へ行くと、よぼよぼして医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今はこちらの方がはるかに医療費がかかっていない。それは(私が)毎朝歩いているからだ」

「私の方が税金を払っている。たらたら飲んで食べて何もしない人の金をなぜ私が払うんだ。努力して健康を保った人にはインセンティブがないといけない」

ずいぶんメディアの非難を浴びた発言だったように記憶していますが、週に2〜3度ジムに通う身には、麻生元総理の嘆き節にひどく親近感を覚えます。病院にかからないように日ごろからウォーキングに精を出したり、決して安くはない年会費を納めてジムに通って健康増進に勤しむ者が、間接的に不摂生で不健康な人たちの医療費を負担しているという不条理。

優雅な老後はおろか夫婦ふたりの静かな老後さえ遠のきつつあるこの社会、長寿には必然的に経済的リスクが伴います。医療費が高止まりすることを覚悟して、自分年金を少しずつ蓄え自力で健康維持に努めることこそ、「老後レス時代」を生き抜く唯一無二の方法だと思っています。