年内にも「三鷹跨線人道橋」撤去へ

先頃、JR東日本八王子支社がJR三鷹駅武蔵境駅間にある「三鷹跨線人道橋」(以下、「跨線橋」)を撤去する工事に本年12月にも着手すると発表しました。地元では「陸橋」と呼ばれることもあります。

跨線橋」が設置されたのは、三鷹駅が開業する1年前の1929年(昭和4年)に遡ります。あと6年経てば設置から100年です。2022年は鉄道開業150年の節目の年でした。明治以来の鉄道通史に照らしても、「跨線橋」は相当長い歴史を刻んできたことになります。設置当時、鉄が不足していたせいで古レールが使用されました。現在も「跨線橋」は当時の姿をほぼとどめていますので、日本製のみならず米国製やドイツ製の古レールが使われていたことが刻印から分かります。

撤去の理由は2つ。古い建造物だけに耐震性に問題があること、そして維持管理に多大のコストが掛かることです。撤去方針が発表された2年前の新聞記事によると、年平均3500万円要するのだそうです。三鷹市に無償譲渡する意向をJR東日本が示したものの、地方自治体にそんな経済的ゆとりはありません。三鷹に9年住んだ太宰治が好んで訪れたことでも「跨線橋」は知られています。前述したように「鉄道遺産」として文化的価値が高いだけに、撤去は返す返すも残念ですが、致し方ありません。願わくば、「跨線橋古レールを使った文鎮を記念品として販売して欲しいものです

跨線橋」は、絵本『ぼくのママはうんてんし』(おおともやすお・福音館書店)の舞台になっています。主人公のぞむ君のママは電車の運転士。のぞむ君はママの誕生日に「跨線橋」で旗を振ってお祝いします。現に、休日に園児らが「跨線橋」から通過する電車に向かって手を振ると、警笛を鳴らしてくれる運転士もいるようです。設置工事が開始されるともう「跨線橋」を渡ることはできなくなります。地元住民に愛された「跨線橋」を渡れる日も残りわずかです。