水俣病・大阪地裁判決〜遅すぎた司法判断〜

6年前、当ブログで石牟礼道子さんの『苦海浄土」について触れたとき、冒頭、「水俣病は終わっていない」と国際会議の席上で訴えた胎児性水俣病患者・坂本しのぶさん(当時61歳)の発言を引用しました。

先月27日、大阪地裁(裁判長:達野ゆき)は、水俣病被害者救済法(以下:「特措法」)の救済対象外となっていた原告128人全員を水俣病患者と認め、国・自治体、原因企業のチッソに対し賠償を命じました。国が最終解決をめざして2009年に成立させた「特措法」が患者救済対象としたのは激しい痙攣を伴う激症型重症患者。こうした症状のみならず、地域や居住要件など認定基準に絞りをかけた結果、多数の被害者が救済の枠組みから漏れてしまったのです。申請期間も2年と短かかったため、未救済患者はさらに増えたはずです。

水俣病が公式に確認されたのは1956年、それから67年経った今も1700人超が提訴中で熊本、新潟、東京の各地裁で審理が続いています。その間に救済網から漏れた患者は苦しみ続け、すでに命を落とした人も数多くいます。

遅すぎた司法判断に、硬直的で場当たり的政府の救済対応。天声人語子は、患者たちが冗句のように交わしたという次のような会話を皮肉まじりに引用しています(2023/9/29)。

水俣病になろうたっちゃ、難しかっばい。ずらーっと並んだ偉か先生の試験に合格せんば」

若松英輔氏は「100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土」(2016/9)のなかでこう述べています。『苦海浄土』は石牟礼道子さんの単独の著作であると共に、水俣病に苦しむ数え切れない患者さん、家族、支援者らの終わることのないライフワークなのだと。

10月4日、被告・チッソは判決を不服として控訴しています。ここで立ち戻るべきは被爆者認定の線引きをめぐって争われた「黒い雨訴訟」です。類似点が多い事案です。政府は上告を断念し、2021年7月29日に当該訴訟は決着を見ました。水俣病公式確認から経過した時間を考えれば、政府が速やかに全面救済する道筋をつけるしかありません。