令和なコトバ「消齢化」の正体

日経新聞夕刊の連載中コラム「令和なコトバ」を愛読しています。10月2日に紹介されたコトバは「消齢化」。名付け親である博報堂生活研究所によれば、語義は「若者らしさや年相応のような年代、年齢にひもづいた生活者の特徴が徐々に薄らいでいき消えていくこと」。

やや分かりにくい説明ですが、具体例を示されれば思い当たることだらけです。
ユニクロで服を買う
・行列に並んで人気スイーツを買う
・芸能情報や新着ニュースに精通している 
などなどです。

老いも若きも、インターネットを通じて衣食住全般に関して最新トレンドをキャッチできるため、自ずと消費行動に類似性が生じるわけです、高齢者がスマホの扱いに慣れてきてLINEスタンプを連打する姿を想像してみて下さい。なかには中高生が得意とする「りょ」だの「草」などの超・省略語を縦横に使いこなす高齢者も増えているに違いありません。「年甲斐もなく小っ恥ずかしい」と感じるのは自分だけでしょうか?このようにオンラインのコミュニケーションをとっても、世代間ギャップは急速に縮小しています。一方、昭和のヒットソングに精通しカラオケでフルコーラス歌える若者が登場したりします。こうした現象を端的に表現するなら、「消齢化」より英語の“generation less”がしっくりきます。ライターの福光恵さんは、次に来るのは”gender less”化だと予測します。

同世代の友人と話をしていて常に感じるのは、親世代より精神年齢が20歳前後幼くなったということです。これを若々しいと形容するには大いに躊躇いがあります。失われたつつあるのは、年相応の振る舞いであり大人の嗜みです。令和以前なら、加齢に伴って身体的衰えが加速する代償として、精神的「成熟」や「ゆとり」が生まれるのだとされてきました。「消齢化」は帰らざる河だとしても、天邪鬼としては思いっきりこの流れに逆らってみたいと思うのです。