石牟礼道子の『苦海浄土』〜100分de名著(2016/9)より〜


この8月に発効したばかりの「水銀に関する水俣条約」の第1回締約国会議が24日、スイス・ジュネーブで開会しました。議場で「水俣病は終わっていない」と訴えたのは、熊本県水俣市の胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん(61)でした。岩波新書に同名の著作があります。著者は長年水俣病の治療と市民運動(公害運動)に積極的に携わった原田正純熊大教授です。平成になって公害という言葉を殆ど耳にしなくなりました。四大公害裁判の判決が確定したり和解が成立したことで、政府やメディアが公害という言葉を意図的に封印してしまったのではないでしょうか。代わりに、企業からは耳障りのいいCSRという横文字言葉が発せられるようになりました。

決して、社会的に公害が収束したわけではありません。公害が死語になりつつある21世紀の今こそ、「水俣病が終わってない」というメッセージを重く受け止め、反芻してみる必要があります。昨年9月にEテレで放送された頭書番組テキスト表紙にも、<公式確認から60年、水俣病は終わっていない>と記されていました。番組講師若松英輔さんの解説を聞きながら、『苦海浄土』の一節を読み返したときも、水俣病の実相を理解することは大変難しいことだと感じました。

苦海浄土』は未完の作品です。大方の読者が読み進めることに困難を感じる作品です。作者の石牟礼道子さんは、この瞬間も水俣病と向き合って声なき声に耳を澄ませていることでしょう。一言も自分の思いの丈を告げることができない人がこの世に存在することを、すでに世を去って言葉を永久に喪ってしまった人がいる厳然たる事実を思い返せば、水俣病に終わりがないというメッセージの意味は自ずと明らかです。救済のない世界だからです。

石牟礼道子さんは、イヴァン・イリイチ氏との対談のなかで「私達が知っていた宗教はすべて滅びた」と語ったそうです。この衝撃的な言葉に水俣病のすべてが凝縮されている気がします。