「空き家」問題を考えてみる〜他人事では済まされない〜

先週は4年半ぶりに、中学の同窓会に出席するため故郷(ふるさと)の岐阜に戻って数日間滞在してきました。30代に両親が他界している上、東京暮らしが四半世紀を超えるので帰省という言葉を使うのは憚られますが、岐阜が青春時代を過ごしたふるさとであることに違いありません。宿泊先から徒歩圏の長良橋界隈を歩いてみると、昔と変わらぬ風景が拡がっていて、少し安堵しました。というのも、市街地の衰退があまりに顕著だったからです(小学生だった時分に通った英語塾のあった建物は空きビルでした・・・市の中心部にもかかわらず・・・;)。

同窓会に話を戻しましょう。個人差はあれ、そろそろ現役引退の年齢に近づいている我が同級生の境遇は恰も万華鏡の如し。総じて肉体の衰えは否めません。白髪交じりの男性諸氏の多いこと。人様のことを言える立場ではありませんが、男女ともに運動不足の同級生が目立ちました・・・・これに対して、担任の先生方は容姿もお変わりなく好対照でした。

さはさりながら、昔話に花が咲いて、一次会は肩を組んでの中学の愛唱歌「我ら愛す」の大合唱でお開きということに。二次会に向かう途中、かつて岐阜の繁華街の中心だったアーケードでお化け屋敷の呼び込みに遭いました。全国各地でシャッターが目立つようになった商店街の活性化のためにお化け屋敷が一役買っているのだとか。岐阜市街も例外ではありませんでした。

サフランという名のラウンジに場所を移して二次会が始まりました。話題になったのは「空き家」問題。首都圏から岐阜に戻った同級生の殆どが、両親他界後の実家の管理のことで頭を悩ましているのでした。自分はつい最近実家の借り手がいなくなったので、真剣に売却することを検討しています。一方、家族の思い出が詰まった家を取り壊して先祖代々?承継してきた土地を手放すことに強い抵抗を感じる方も多いのではないでしょうか。

こんな風に「空き家」となった実家のことを考えるようになりました。そもそも、家は人が住むためにあるもの。僅かの間でも人が住まなくなってメンテがなされないと忽ち建物は劣化します。地方都市だと敷地100坪は当たり前、植栽も庭師を入れないと荒れ放題になります。真夏の雑草の繁茂も悩ましい問題です。「空き家」は隣家にとって迷惑な存在であるだけではなく、周辺環境を劣化させ地価を押し下げる要因にもなります。

家族の思い出はそっと胸に刻んで、資産の有効活用を考えるべきです。たとえ二束三文の値段であったとしても、欲しい人に土地を譲って新しい暮らしを始めてもらうべきなのです。言い換えれば、「空き家」になった実家は、誰も住む予定がないのなら直ちに売却してしまうのが得策ということになります。これから地方都市の地価が上がることが絶対にありません、そう断言します。「空き家」は資産どころか負債に他なりません。増え続ける「空き家」対策を講じるため立法措置がとられ、「空き家等対策特別措置法」が成立したのも無理からぬことなのです。

野村総研によれば、2013年の空き家率は13.5%(819万戸)、20年後の2033年には30.2%に膨れ上がり空家数は2015万戸に達するのだそうです。人口減少がもたらす驚愕的な未来予測ではありませんか。

空き家問題 (祥伝社新書)

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