予測不能なドル円相場は1ドル=150円台に突入~家計の金融資産構成の見直しは急務~

投資における概念のひとつにフェアバリュー(適正価格)があります。株式投資においては、純資産額や収益性、成長性等の評価基準に照らして所謂公正価値が算出されます。企業買収や不動産取引においても、フェアバリューの算定は大前提となります。

一方、為替には理論的なフェアバリューが存在しません。10月20日、1990年8月以来実に32年ぶりに米ドルは対円で150円台を突破しました。1日明けた今日もドル高に拍車がかかり、150円40銭前後で揉み合っています。フェアバリューが存在しないからと言って、ドル円がランダムに独り歩きしているわけではありません。米ドル高の背景にあるのは日米の金利差拡大です。足元の米国債10年の利回り4.26%に対して、日本国債10年の利回りは0.25%ですから、米ドルが買われるのは当然です。埋め難い金利差は、低金利を継続する日銀の金融緩和政策が改まらないかぎり縮小することはないでしょう。9月24日に政府は145円の節目で24年ぶりに為替介入(介入規模は2兆8382億円)しましたが、案の定焼け石に水でした。下に示したのは直近1ヵ月のドル円のチャートです。145円の防衛ラインは易々と突破され、この1月足らずで5円もドル高が進んでいます(米ドルは19時前に151円台に突入、急ピッチで152円目前まで上昇し、23時過ぎ政府・日銀が介入に踏み切り5円ほど円高に戻しました)

野口悠紀男一橋大学名誉教授は、長きに亘った「円安という麻薬」が日本の成長力を奪ってきたのだと言います。円安・ドル高は我が国の古典的な産業構造に起因していることは明らかです。今朝の日経新聞一面には<人材・資本 日本離れ招く>と小見出しが躍っています。通貨の実力を表すと言われる「実質実効為替レート」は、下記(出典:三井住友DSアセットマネジメント)のとおり、95年をピークに低下の一途を辿っています。ファーストリテイリングの柳井会長は「日本経済は非常にひどい状況で、普通の人の生活が確かに悪くなっている。(円安のメリットは)製造業でもほとんどないと思う。むしろデメリットだ。」と指摘しています。

日本国債暴落はさすがに荒唐無稽だとしても、『国も企業も個人も今はドルを買え!』(2015年・PHPビジネス新書)などの著書で知られる藤巻健史氏は筋金入りの米ドル信奉者。高笑いが止まらないことでしょう。

個人の資産防衛策として、為替水準を注視しながら、徐々に外貨建て資産を増やすことを真剣に考える時期だと考えます。円安とインフレに対して抵抗力ゼロの円に偏った家計の金融資産構成を見直すことは急務です。コロナ禍が収まり渡航制限も解除されつつある今、ハワイや西海岸に旅行しようとした場合、渡航費はコロナ前の4割増しと言われています。原油高による燃油サーチャージ高騰、ドル高、インフレの三重苦になす術なしではあまりに情けないではありませんか。

仲道郁代さんのピアノリサイタル@八ヶ岳高原音楽堂

先週の10月14日、仲道郁代さんのピアノリサイタルが催される八ヶ岳高原音楽堂(長野県南佐久郡南牧村大字海の口)を訪れました。会場はその名のとおり、八ヶ岳の山懐に抱かれた高原にあって、美しいカラマツ並木が出迎えてくれます。11月にかけて「八ヶ岳イエロー」と呼ばれる黄葉の盛りがやって来ます。東京の自宅から中央道経由クルマを飛ばして約2時間半、距離にして170km離れていますから、かなり以前から訪れたいと希いつつこれまでご縁がありませんでした。

会場の八ヶ岳高原音楽堂の存在を知ったきっかけは、1枚のCDからでした。長年親しんで今や愛聴盤となったこのCDには、1989年に八ヶ岳高原音楽堂でライブ録音された「ゴルトベルク変奏曲(BWV988)」が収められています。ジャズピアニスト・キースジャレットがバッハの不朽の名曲「ゴルトベルク協奏曲」を古楽器チェンバロで演奏したものです。

今年5月29日、サントリーホールで開催された仲道郁代さんのピアノリサイタルで受け取ったフライヤーで今回のイベントを知って、即座にチケットを手配しました。コンサート会場で配られる大量のフライヤーを邪魔くさいと敬遠しないで、インターミッションの時間を利用して何気に目を通していれば、今回のような珠玉のコンサートに巡り会えるチャンスもあるのです。

リサイタルは<ショパン~若き日の想いを彩って~>と題して、ショパンの初期~中期の作品が演奏されました。天窓からはたっぷりと自然光が降り注ぎ、温もりの感じられる木製の大きな窓枠を通して客席は色づく樹々と繋がっています。そこには、都会のコンサートホールでは絶対に味わえない至福の時間がありました。客席数は最大250人。小ホールならではの演奏者との遠すぎない距離感が八ヶ岳高原音楽堂の大きな魅力です。設計は公共建築だけではなく数多くの個人住宅も手掛けた吉村順三です。八ヶ岳高原音楽堂は、「簡素で気持ち良い場」をめざした建築家・吉村順三の代表作のひとつに数えられるでしょう。

ワルシャワの神童」と呼ばれたフレデリック・ショパンは、20歳のとき、故郷ポーランドを離れウィーンへと旅立ちます。ウィーンでショパンが耳にしたのはワルシャワの民衆蜂起というニュースでした。翌年、パリへ向かいやがて社交界で脚光を浴びることになりますが、再びポーランドの土を踏むことなく短い生涯を終えます。仲道郁代さんが奏でるショパンの美しい調べには故国への切ない思いが込められています。ショパン自身が最高傑作と自認している『別れの曲』は、ショパンが22歳のとき、ピアノの練習曲として作曲したものです。甘く優美な旋律の先には激情が迸るような劇的なエレメントが潜んでいます。仲道さんは、曲の合間にマイクを握って丁寧に解説を交えながら演奏会を進行させます。プログラムに組まれた『別れの曲』や『華麗なる大円舞曲』をはじめ、『子犬のワルツ』や『雨だれ(のプレリュード)』など、私たち日本人が慣れ親しんでいる曲名のほぼすべてが作曲者ショパン自身の命名ではありません。いずれも愛称であり俗称だそうです。ショパンは純粋に先入見なく曲を聴いて欲しかったのだと言います。

アンコールはラフマニノフのプレリュードから2曲、そしてショパンマズルカが続き、ラストはドビュッシーの『ヒースの丘(ヒースの茂る荒地)』でした。心地よい余韻に浸りながら会場を後に八ヶ岳高原ロッジに向かって歩き始めると、次第に宵闇が迫ってきます。来年も八ヶ岳高原音楽堂で仲道さんのピアノリサイタルが開かれます。今から楽しみでなりません。

穂村弘の言葉季評より~「ちょっと」「苦手」「かも」~

10月6日付け朝日新聞朝刊オピニオン欄に掲載された歌人穂村弘さんのディスクールに思わず膝を打ってしまいました。近頃は、SNSの普及のせいでしょうか? 少しでも過激な発言をしようものなら世間から袋叩きに遭うリスクが大いに高まっています。実際に不用意な発言をしたタレントや有名人のSNSはかなりの確率で炎上しています。飲食店を例に、昭和の時代なら「美味しくない」「不味い」と平気で言っていたのに、最近は「ちょっと苦手かも」と必ず逃げ道を用意した言葉遣いが定着してきているのだと筆者は言います。

テレビCMの片隅に現れる「個人の感想です」という不思議なメッセージには、逆に、「自分は好きだけど、人それぞれだから、気に入らない人もいるでしょうね」と気に入らない人への配慮が滲んでいるのだと、筆者は付け加えます。

筆者自身が、無意識のうちに「苦手」表現を学習していたのだと言います。逃げ道づくりが社会全体の空気感とは言い得て妙です。かく言う自分も、過去1ヵ月のLINEやメールを調べてみると、確かに一定の文脈のなかで「苦手」を使っています。副詞の「ちょっと」や終助詞「かも」で更なる婉曲表現を狙うまでには至っていませんが、歯切れの悪さは否めません。

「ちょっと苦手かも」はノーリスクでダメ出ししたいときに使う新兵器といったところでしょうか。ならば、いっそのこと、大阪弁の「知らんけど」をマスターした方が手っ取り早い気がします。関西人ではないのでニュアンスを上手く伝えられませんが、wikiによれば<特に大阪弁において自分の主張などを話した後、結びの言葉として「自分の見解に責任は持てない」旨を言い添える>ことのようです。東京の住民には些か抵抗のある大阪弁ではありますが、「ちょっと不安かも」より、よっぽど場が和むように思うのです。現にZ世代はネットスラングとして「知らんけど」を使いこなしているそうです。

追悼:三遊亭円楽師匠|日本人の忘れものが落語には詰まっている

日テレの追悼番組「笑点ありがとう 三遊亭円楽師匠」を見て、師匠が遺したこんな言葉に胸を突かれました。

<日本人が近頃忘れかけている優しさ、人情、愛情、友情などが落語には詰まっている>

最後となった国立演芸場の高座を拝聴すると、晩年の歌丸師匠に重なるような落語への愛着がひしひしと伝わってきます。射貫くような視線の先には、落語界の将来に対する漠たる憂いが感じられました。時折り見せる厳しい表情は、激烈な正論を吐いて憂国の論客と呼ばれた石原慎太郎東京都知事を彷彿とさせました。

先代の円楽師匠や歌丸師匠が司会を務めていた頃、日テレの長寿番組「笑点」をよく見たものです。当時、円楽師匠の歌丸師匠いじりは「笑点」に欠かせないバトルでしたが、人の生き死にをネタにするのは流石に度が過ぎるのではないかと少々眉を顰めておりました。が一方で、難しそうなお題が出されたとき、いの一番で切れ味鋭い返しをするのは決まって円楽師匠。世相を風刺させたら超一流でした。楽太郎の頃からの若々しいイメージがずっと焼きついて離れないので、45年もの間、「笑点」メンバーだったと知って吃驚しています。先月30日に円楽師匠(享年72)が亡くなって、高座を務める師匠の落語を一度も聴かなかったことが心底悔やまれます。

笑点」メンバーによる追悼メッセージからは、円楽師匠の優しくて人情味溢れる人柄が偲ばれます。ずっと涙ぐんで円楽師匠を回想するたい平さんを見ていると、円楽師匠が実に後輩思いの良き先輩だったことが分かります。いみじくも、三遊亭好楽師匠の惜別の句が語るように<円楽は、口が悪いが、根は優しい>に違いありません。円楽師匠だからこそ許された毒舌だったのです。円楽師匠のいない大喜利の穴を埋めるのは並大抵のことではなさそうです。

謹んでお悔やみ申し上げます。

仕組債の終焉〜主犯格はEB債〜

証券会社が相次いで日経リンク債やEBに代表される仕組債の販売停止に踏み切っています。先行したのはメガバンク傘下のSMBC日興証券みずほ証券。ブロックトレードで重大な法令違反をやらかしたSMBC日興証券は、早々と金融庁に白旗を上げた格好です。これまで、高齢者を中心に多大な損失を被った個人投資家は数知れません。今年に入ってからの米国株の暴落は凄まじいの一言に尽きます。退職金を米国個別株EBに投じて大損した方にはお気の毒としか言いようがありません。数年前から金融庁が本腰を上げて仕組債の規制強化に取り組んできたのは承知していましたが、とうとう、野村と大和も個人向け仕組債(公募)の販売を原則停止するそうです。10月6日付け日経電子版がそう伝えています。

仕組債の最大の問題は、内在するリスクに対して投資家が享受できるリスクが見合っていない点にあります。仕組債を組成・販売すれば最低でも数%の手数料が証券会社に転がり込みます。背後でデリバティブを提供する外資系証券会社も必ず中抜きしますから、仕組債の利回りはもっと高くていいはずなのです。もう1点、仕組債は償還するまで転売できません。流動性の欠如は、個人向け投資商品として致命的な欠陥なのです。仕組債の時価評価を眺めていると腹立たしく思えてくるはずです。

マイポートフォリオにも一定割合の公募や私募の仕組債が組み込まれています。過去、損失を被ったことのある仕組債の殆どがEBでした。日経平均やSP500など指数を参照するリンク債は3~5%の運用になっているので比較的安心です。トリガーはかなり低めに設定してあります。上客には証券会社はプラチナチケットのIPOを配りますから、高リスクの見返りさえあれば、仕組債による運用もある程度許容することにしています。

今年になって日米共に株価が低迷しているため、指数リンク債にかぎっては早期償還条項に抵触せず、仕組債の回転商いが効かなくなっていることも、証券会社が仕組債販売停止に踏み切った理由のひとつだと睨んでいます。

日本だけが置き去りにされているものの、米国を中心に世界的インフレが進行するなか、ようやく、債券に真っ当な金利がつくようになってきました。仕組債とおさらばするいいタイミングだと思っています。向こう数年で公募の仕組債をポートフォリオから駆逐し、ドル建債券への運用を加速させるつもりです。

稼ぎ頭のリテール商品を喪って証券会社がこれからどうやって稼いでいくのか。同じようなリスクを内包した投資信託でも作る気でしょうか? 他人事ながら気になるところです。

「TSURUYA」茅野店の信州産ワイン

先週、蓼科からの帰路、ビーナスライン沿いに「TSURUYA」が出店していることに気づきました。長野県地盤のスーパーマーケット・「TSURUYA」(ツルヤ)は軽井沢を訪れたとき必ずお世話になります。「TSURUYA」のロゴ看板を発見して、思わず駐車場へとハンドルを切りました。駐車中のクルマのナンバーを見ると、地元諏訪ナンバーに混じって、品川や世田谷など東京勢が結構います。ワンフロアの広い店内には首都圏からやって来たと思しき観光客グループを何組も見かけました。案の定、生鮮食料品やワインを物色しています。店員に尋ねると、2年前の2020年3月に茅野店はオープンしたのだそうです。

ツルヤで買いたいモノは大抵決まっています。TSURUYA特製フルーツジャム(定番は「りんごバター」)に牛乳、信州りんごジュース、しめじや舞茸、忘れてならないのはワインです。ビールをはじめアルコール類の棚は大変充実していて、高級品から普段使いまでワインの品揃えもそこいらのスーパーの比ではありません。

信州ワインのコーナーで迷った末に購入したのは、塩尻産コンコードを使った甘口のワイン3本。内訳は、東京のスーパーでもおなじみの井筒ワイン製デザートワイン(アルコール度16%)1本に、おしゃれなエチケットのTSURUYAプライベートブランド・信州ワイン(甘口・中口)の2本です。いずれも酸化防止剤無添加です。中口の1本を抜栓してみましたが、フルーティーな味わいが持ち味なだけに、肉料理と相性が良さそうです。秋の夜長に井筒ワインのなかでもファンが多いというデザートワイン(通販はSOLD OUT)を味わうつもりです。

スイス氷河危うし

チューリッヒに駐在していた30代前半、真冬に、グリンデルワルトを拠点にユングフラウヨッホ鉄道に乗車し、標高3454mに位置するユングフラウヨッホ駅を訪れたことがあります。この地下駅は、エレベーターでスフィンクステラスと呼ばれる展望台と直結していて、展望台からはスイスアルプス最大・最長のアレッチ氷河世界遺産)をはじめ、ベルナーアルプスに代表されるスイス山岳景観を一望できます。

もう一度、コロナ禍が収束したら山岳鉄道を利用したスイスアルプスの旅をしたいと思っていたら、こんな新聞記事の見出しが目に飛び込んできました。

<スイス氷河 最大の消失率 今年6%減 厚み平均3メートル減る>(9月30日付け日経)

スイス科学アカデミーによれば、氷河の前年比消失率が2%以上になると「非常事態」と看做されるそうです。21~22年の冬場の降雪量が複数の地点で1959年の観測開始以来最低を記録、さらに今夏の猛暑で約3万立方メートルの氷が解けて、かかる非常事態が生じたのです。氷河融解は世界規模で進んでいて、今世紀末までに世界の氷河は最大47%減少すると警鐘が鳴らされています(「国連の気候変動に関する政府間パネルIPCC)」)。

グリンデルワルトのロッジに宿泊した当時、夜、知り合ったばかりの宿泊者グループに合流して氷河の氷を採取しに出掛けた記憶があります。ホテルに戻ってオンザロックで飲んだウィスキーは格別でした。閉じ込められた空気が雪の重みで圧縮されたせいで、氷が溶けるにつれて気泡がパチパチと音を立てるのです。 氷河の氷・オンザロックが飲めなくなる・・・そんな悠長な話をしている場合ではありません。

気候変動の影響は実に深刻です。年々、紅葉の時期が遅くなっているのは周知の現実です。日本にかぎった異常現象ではありません。紅葉が遅れる最大の原因は、朝晩の冷え込みが弱くなっているからです。観光スポットのパンフレットやガイドブックには決まって鮮やかな紅葉に彩られた写真が掲載されていますが、近年、そんな光景に遭遇できるチャンスが激減しているように感じます。迫力不足というより、中途半端な紅葉でお終いになっている気がします。遅れているだけならまだしも、将来、紅葉が見られなくなる可能性が大なのです。先週、訪れたばかりの千畳敷カールは氷河の侵食作用によって形成された半椀状の地形です。地元のガイドさん曰く、「今年の千畳敷カールの紅葉は色づきが悪くこれで打ち止めかも」と。氷河の痕跡を見ながら、地球環境が直面する問題に個人としてどう対処していくべきか、深く考えさせられました。