仲道郁代さんのピアノリサイタル@八ヶ岳高原音楽堂

先週の10月14日、仲道郁代さんのピアノリサイタルが催される八ヶ岳高原音楽堂(長野県南佐久郡南牧村大字海の口)を訪れました。会場はその名のとおり、八ヶ岳の山懐に抱かれた高原にあって、美しいカラマツ並木が出迎えてくれます。11月にかけて「八ヶ岳イエロー」と呼ばれる黄葉の盛りがやって来ます。東京の自宅から中央道経由クルマを飛ばして約2時間半、距離にして170km離れていますから、かなり以前から訪れたいと希いつつこれまでご縁がありませんでした。

会場の八ヶ岳高原音楽堂の存在を知ったきっかけは、1枚のCDからでした。長年親しんで今や愛聴盤となったこのCDには、1989年に八ヶ岳高原音楽堂でライブ録音された「ゴルトベルク変奏曲(BWV988)」が収められています。ジャズピアニスト・キースジャレットがバッハの不朽の名曲「ゴルトベルク協奏曲」を古楽器チェンバロで演奏したものです。

今年5月29日、サントリーホールで開催された仲道郁代さんのピアノリサイタルで受け取ったフライヤーで今回のイベントを知って、即座にチケットを手配しました。コンサート会場で配られる大量のフライヤーを邪魔くさいと敬遠しないで、インターミッションの時間を利用して何気に目を通していれば、今回のような珠玉のコンサートに巡り会えるチャンスもあるのです。

リサイタルは<ショパン~若き日の想いを彩って~>と題して、ショパンの初期~中期の作品が演奏されました。天窓からはたっぷりと自然光が降り注ぎ、温もりの感じられる木製の大きな窓枠を通して客席は色づく樹々と繋がっています。そこには、都会のコンサートホールでは絶対に味わえない至福の時間がありました。客席数は最大250人。小ホールならではの演奏者との遠すぎない距離感が八ヶ岳高原音楽堂の大きな魅力です。設計は公共建築だけではなく数多くの個人住宅も手掛けた吉村順三です。八ヶ岳高原音楽堂は、「簡素で気持ち良い場」をめざした建築家・吉村順三の代表作のひとつに数えられるでしょう。

ワルシャワの神童」と呼ばれたフレデリック・ショパンは、20歳のとき、故郷ポーランドを離れウィーンへと旅立ちます。ウィーンでショパンが耳にしたのはワルシャワの民衆蜂起というニュースでした。翌年、パリへ向かいやがて社交界で脚光を浴びることになりますが、再びポーランドの土を踏むことなく短い生涯を終えます。仲道郁代さんが奏でるショパンの美しい調べには故国への切ない思いが込められています。ショパン自身が最高傑作と自認している『別れの曲』は、ショパンが22歳のとき、ピアノの練習曲として作曲したものです。甘く優美な旋律の先には激情が迸るような劇的なエレメントが潜んでいます。仲道さんは、曲の合間にマイクを握って丁寧に解説を交えながら演奏会を進行させます。プログラムに組まれた『別れの曲』や『華麗なる大円舞曲』をはじめ、『子犬のワルツ』や『雨だれ(のプレリュード)』など、私たち日本人が慣れ親しんでいる曲名のほぼすべてが作曲者ショパン自身の命名ではありません。いずれも愛称であり俗称だそうです。ショパンは純粋に先入見なく曲を聴いて欲しかったのだと言います。

アンコールはラフマニノフのプレリュードから2曲、そしてショパンマズルカが続き、ラストはドビュッシーの『ヒースの丘(ヒースの茂る荒地)』でした。心地よい余韻に浸りながら会場を後に八ヶ岳高原ロッジに向かって歩き始めると、次第に宵闇が迫ってきます。来年も八ヶ岳高原音楽堂で仲道さんのピアノリサイタルが開かれます。今から楽しみでなりません。