追悼:三遊亭円楽師匠|日本人の忘れものが落語には詰まっている

日テレの追悼番組「笑点ありがとう 三遊亭円楽師匠」を見て、師匠が遺したこんな言葉に胸を突かれました。

<日本人が近頃忘れかけている優しさ、人情、愛情、友情などが落語には詰まっている>

最後となった国立演芸場の高座を拝聴すると、晩年の歌丸師匠に重なるような落語への愛着がひしひしと伝わってきます。射貫くような視線の先には、落語界の将来に対する漠たる憂いが感じられました。時折り見せる厳しい表情は、激烈な正論を吐いて憂国の論客と呼ばれた石原慎太郎東京都知事を彷彿とさせました。

先代の円楽師匠や歌丸師匠が司会を務めていた頃、日テレの長寿番組「笑点」をよく見たものです。当時、円楽師匠の歌丸師匠いじりは「笑点」に欠かせないバトルでしたが、人の生き死にをネタにするのは流石に度が過ぎるのではないかと少々眉を顰めておりました。が一方で、難しそうなお題が出されたとき、いの一番で切れ味鋭い返しをするのは決まって円楽師匠。世相を風刺させたら超一流でした。楽太郎の頃からの若々しいイメージがずっと焼きついて離れないので、45年もの間、「笑点」メンバーだったと知って吃驚しています。先月30日に円楽師匠(享年72)が亡くなって、高座を務める師匠の落語を一度も聴かなかったことが心底悔やまれます。

笑点」メンバーによる追悼メッセージからは、円楽師匠の優しくて人情味溢れる人柄が偲ばれます。ずっと涙ぐんで円楽師匠を回想するたい平さんを見ていると、円楽師匠が実に後輩思いの良き先輩だったことが分かります。いみじくも、三遊亭好楽師匠の惜別の句が語るように<円楽は、口が悪いが、根は優しい>に違いありません。円楽師匠だからこそ許された毒舌だったのです。円楽師匠のいない大喜利の穴を埋めるのは並大抵のことではなさそうです。

謹んでお悔やみ申し上げます。