2022年GW前篇(1)|新緑の黒部峡谷鉄道

2022年GWは3年ぶりに行動制約がなくなったので、目一杯予定を入れておきました。GW序盤は東京駅から北陸新幹線(6:28発はくたか551号)に乗車、富山に向かいました。かなり早い段階でグリーン・指定席共に完売だったので、早起きしてホームに並びなんとか自由席を確保しました。車内通路は席を確保できなかった乗客で溢れ、コロナ前に戻ったかのような混雑ぶりでした。発車して半時ほど経ったとき乗客のひとりが緊急停止ボタンを押したため、列車は急停車。ひとり旅の女性が体調不良で倒れ込んだらしく、通過するはずの熊谷駅で緊急搬送されました。長距離移動を伴う公共交通機関を利用中に体調不良等で下車することになれば、大勢の乗客に迷惑がかかります。旅行直前の体調管理には万全を期しておきたいものです。旅にはこうしたアクシデントはつきものです。20分程度の遅れで済んだので、幸先は悪くないと思うことにしました。

黒部宇奈月温泉駅で下車して、地元では「地鉄(ちてつ」の呼称で親しまれている富山地方鉄道本線に乗り換え、新黒部駅から宇奈月温泉郷に向かいます。「地鉄」はローカル線だけに1時間に1~2便しか運行されていません。数分間隔で運行される首都圏路線と違って、のんびりしたところがローカル鉄道の魅力のひとつです。とはいえ、北陸新幹線の到着がもう少し遅れていたら、大幅に先々の予定が狂うところでした。女性職員がひとりで「急いで下さい、切符はあとでいいですから」と狭いホームに駆け込む乗客の対応に追われていました。天気予報どおり、どんよりとした鈍色の雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうです。お天気が芳しくないせいか、車内は閑散としています。

黒部峡谷鉄道(通称「トロッコ電車」)の始発駅、宇奈月駅(標高224m)は「地鉄」本線の宇奈月温泉駅から徒歩5分。立派な駅舎に目を奪われます。起点の宇奈月駅から終点の欅平駅(けやきだいらえき)(標高599m)まで約20km、2022年度営業運転は4月27日から11月30日まで。積雪状況等によって毎年営業運転の期間は異なるそうです。黒部川電源開発に伴う資材運搬手段として建設された路線開業は1926年。軌間は762mmのナロ―ゲージ(JR在来線は1067mm)ですから、横一列4人掛けとなると少々窮屈です。末尾に挙げた豊富なイラストで楽しませてくれる『ローカル鉄道の解剖図鑑』(エクスナレッジ社刊)には、「地鉄」、黒部峡谷鉄道共に掲載されています。

この時期は、笹平駅で折り返し運行で笹平駅での降車休憩も含め往復約80分、「トロッコ電車」から新緑の沿線風景を楽しみました。客車は3種類ありますが、雨天でなければ、車窓のない普通客車(1000形)がおススメです。開放感抜群で黒部峡谷大自然を肌で感じられるからです。黒部V字峡谷が拡がる進行方向右手に座るのがポイントです。宇奈月駅を出発するとまもなく温泉郷のランドマーク「新山彦橋」を渡って、電車は大きく右へカーブして進みます。まもなく、うなづき湖、宇奈月ダム、ヨーロッパの古城を彷彿させる「新柳河原発電所」が視界に入り、徐々に険しいスリル満点の峡谷景観へと変化していきます。随所で流れる車内アナウンス(富山県出身の室井滋さんの声だそうです)に耳を傾けていれば、シャッターチャンスを逃すことはありません。なかでも注目すべきは、延長137m・幅員わずか1mのサル専用吊り橋です。20年越しで宇奈月ダムが建設された際、老朽化した橋を撤去した結果、ニホンザルが人里に出没し農作物への被害が増えたのだそうです。対策の一環として、ニホンザルが採食のために対岸へ自由に移動できるようにと、わざわざこの特殊な構造物が設けられたのです。ニホンザルの行動域を確保するための生態系へのあるべき配慮と言えます。極論すれば、ダム建設は自然破壊そのもの。一方で、電源開発は人が暮らしていくために不可欠な事業。黒部峡谷でこうした取組みを目の当たりにして、自然との共生の在り方を学習させられました。

笹平駅(ささだいらえき)でいったん降車すると、大勢の駅員さんが出迎えてくれました。終点の欅平駅で勤務するという駅員さんが黒部峡谷鉄道のことを色々教えて下さいました。11月末に営業運転が終了すると、冬支度が始まるのだそうです。雪崩が発生する可能性のある「ウド谷橋」では、橋の枕木、レール、架線、架線柱をすべてが撤去され、トンネル内で保管されます。冬季休業中は、黒部峡谷鉄道社員約90人総出で機関車と客車の分解点検作業に当たるそうです。次年度の営業再開に向けて、乗客には見えない地道な作業が続くのです。

折り返し地点の笹平駅を出発する「トロッコ電車」に職員さんたちが大きく手を振って見送りしてくれました。スリリングな自然景観に加え、行き届いた車内アナウンスや駅員さんの心尽くしの対応が、黒部峡谷鉄道立山・黒部アルペンルートと並ぶ屈指の人気スポットに押し上げていることがよく分かりました。

「火星移住計画」は現実味を帯びてきたのか?

最近、気になるニュースは宇宙に関する話題。昨年12月、ZOZO創業者前澤友作氏がロシアの宇宙船ソユーズに搭乗し、約6時間のフライトを経て国際宇宙ステーションISS)に到着、宇宙に12日間滞在して地球に帰還しました。宇宙に行った日本人は14人になるのだそうです。同乗したカメラマンの分も含めて前澤氏が支払った宇宙旅行の代金は100億と言われています。その数か月前には、米アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスが自身が保有する宇宙開発企業「ブルー・オリジン」初の有人飛行に成功しています。

宇宙をめざす世界の富豪たちはさらに壮大なスケールのプロジェクトを構想しているようです。そのひとりがテスラ創業者でCEOのイーロン・マスク氏。数日前、そのマスク氏が米Twitter社を440億ドル(5兆7000億円)を投じて買収すると発表し、世界を驚かせたばかりです。2002年にマスク氏はSpace Exploration Technologies Corp(通称スペースX)を設立、現在、惑星間宇宙飛行を見据えた超大型ロケット/宇宙船スターシップを開発中です。スターシップは再利用可能なロケットで、火星移住計画を推進する役割を担うことになっています。1950年に出版されたレイ・ブラッドベリSF小説火星年代記』に描かれた火星への植民が少しずつ現実味を帯びてきているのでしょうか。そう考えるのは早計な気がします。が、マスク氏はやる気満々。火星と地球が最接近する2024年を野心的なターゲットとした上で、2026年までに火星までの有人飛行を成功させ、最終的に火星に恒久的基地を設け、人が暮らせるようにしたいのだそうです。スペースX社がめざす人類のミッションは、他の惑星に生命圏を拡げることなのです。

太陽系で距離的に地球に近い惑星は金星と火星。金星は二酸化炭素の厚い大気に覆われ、表面温度は400℃超。その上、地表の気圧が異常に高く、「スーパーローテーション」と呼ばれる秒速100mの突風が絶えず吹きつけるのだそうです。生き物が生存できる基盤そのものが存在しないので、金星はそもそも移住の対象にならないのです。

では、残された選択肢、火星は人の住めるような環境にあるのでしょうか。地球外の惑星において地球を形成することをテラフォーミング(「地球化」)と言います。転じて、人間も含めた生命体が生存できるようにすることを指したりします。現在の科学技術でテラフォーミングの可能性があるのは火星だけだそうです。直径は地球の半分程度、自転周期が24時間半、薄いながらも大気(地球の1%程度で96%は二酸化炭素)が存在し、四季もあります。かつて火星に存在した水の相当部分が永久凍土と化し地殻に閉じ込められているというのが最近の研究成果だそうです。

ここまで火星の実態が明らかになると、俄かに火星移住計画に期待したくなりますが、火星の現実はそんなに甘くはありません。火星の平均気温は-63℃、最低気温は-140℃に達します。さらに大きな懸念は重力が地球の1/3だという点。低重力がもたらす人体への影響は計測不能、長期的に見て健康的な生活を送れるのかどうか甚だ疑問です。克服すべき最大の課題は、太陽の周りを回りながら火星に近づくとすると、片道260日もかかる点です。その間の宇宙飛行士の生命維持に必要な食糧や燃料等の物資輸送を考えると、有人飛行というよりロボットによる探査の方が断然現実的に思えてきます。火星探査が片道切符と言われる所以です。

ここまで考察してくると、つくづく地球という星は人類に優しい惑星だということが分かります。地球温暖化も含め、地球環境をこれ以上悪化させないように、日常生活のなかで地球をいたわることに繋がる営みを心掛けたいと思います。

JR・SUICA定期券を使ったエキナカ利用は有料だと心得よ!

JR・SUICA定期券を使って都心に通勤する息子が、無印良品で買い物をするために最寄り駅のエキナカに向かいました。SUICA定期券を使えば、入場料を支払わずに駅に入場し、買い物を済ませて出場できると思い込んでいたからです。かく言う自分も息子と同じ見解でした。ほどなく息子は憤慨して戻ってきました。

結論を先に申し上げます。SUICAを使って駅に入場し、同じ駅から出場するとチャージ残高から入場料(電車特定区間内は140円)が自動的に引き落とされます。定期券は入場券の代わりにはならないということです。乗車券(定期券を含む)はあくまで列車に乗車するために発行される券であって、改札内利用は乗車にあたらないというのがJR東日本の公式見解です。因みに、改札内の滞在時間は2時間までだそうです(超過した場合は有人改札対応となります)。

乗車券と入場券の違いをきちんと理解している鉄道利用者は寧ろ少数派ではないでしょうか。息子のように誤った理解をしている鉄道利用者が大半ではないかと思うのです。そもそもの発端は昨年3月、JR東日本が「タッチでエキナカ」というサービスを始めたことにあります。SUICA発売から20年かかって実現したサービスなのだそうです。会計上、「運輸収入」と「旅客雑収入」を区別するために10種類ものICカードに対応できるようシステムを改修するのに長い時間を要したという訳です。つまり、2021年3月までは、定期券で同じ駅を入出場しても、別途入場料をチャージされることはなかったということになります(そう理解しています)。

JR東日本の2022年3月期決算は949億円の赤字。SUICA定期券利用者がエキナカで買い物する場合くらい、入場料を不徴収にした方がテナントが潤い、長期的に見れば運輸事業以外の流通・サービス事業に寄与するのではないでしょうか。正直、JR東日本はセコいと思うのです。

「大山詣り」で思わぬ受難~ヤマビルの住処(大山桜コース)に要注意~

登山を始めたばかりのSさんを伴って新緑の「大山詣り」に出掛けました。都民にとって手軽な登山と言えば高尾山ですが、神奈川県伊勢原市にある大山(1252m)も高尾山に比肩する人気の山なのです。高尾山(3つ星)には及びませんが、大山阿夫利神社からの眺望が「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(改訂第4版)」の2つ星(「寄り道する価値がある」)、大山が1つ星(「興味深い」)を獲得しています。高尾山は都心からのアクセスが良好な上に山頂までのメインルートが殆ど舗装されているので、スニーカーやヒール履きでも登れてしまいます。そのため、ハイシーズンの山頂の混雑ぶりは新宿や渋谷の繁華街同然で、げんなりされた経験をお持ちの方も多いかと思います。その点、大山はケーブルカーを利用したとしても、山頂にたどりつくには急な階段や延々と続く石段を克服しなければなりません。下調べもしないで安易に臨むと途中でリタイアを余儀なくされる可能性大なのです。現に今回も途中で引き返すご婦人グループを見かけました。下社左手から本坂を上る途中、16丁目あたりで何丁目まであるのかしらと呟く女性グループに「28丁目ですよ」と囁くと吃驚されていました。

お江戸の人口が100万だった頃、年間20万人が「大山詣り」をしたそうです。江戸時代、ひとりで遠出し参詣するのは難行でしたから「大山講」が組織されました。そのため、こま参道と呼ばれる参詣本道が整備され、参道沿いには今も土産物屋、茶屋、旅館が軒を連ねています。大山と富士山のご祭神は父娘の関係にあるので、古来より大山に登らば富士山に登れ、富士山に登らば大山に登れと「両詣り」が盛んだったようです。

小田急伊勢原駅北口にある公営駐車場にクルマを駐車して、バスで大山小学校バス停まで移動、大山桜コースから旧参道へ進むことに。大山小学校の裏手の獣害防護柵(写真のようにビニル紐で雑に結わえられ開けるのが大変でした)を抜け、30分ほど山道を歩いたあたりで疲れたSさんがベンチに腰を下ろし休憩。悲劇はその直後に訪れました。Sさんの耳をつんざくような悲鳴で事態を呑み込みました。彼女のズボンや登山靴に体長数センチほどのヤマビルが付着していたのです。先月、鍋割山下山中にヤマビル注意の標識を見たばかりですが、まさか4月から活動期にあるとは全くのブラインドでした。ハンドタオルで一匹ずつ取り除くのですが、すぐに別のヤマビルが集ってきます。その数、十数匹。ヤマビルはシューレースの隙間にまで入り込んで除去するのにかなり手間取りました。半狂乱状態のSさんをなんとか落ち着かせ、1時間あまりかけて阿夫利神社社務局近くまで降下して、念のため、登山靴を脱いでもらい確認すると、靴下にまとわりつくヤマビルが数匹。1ヵ所脛を吸血されていたので、ザックからファーストエイド・キットを取り出し、以下のように処置しました。1)で血と共に「ヒルジン」も洗い流します。

1)ナルゲンボトルの水で傷口を洗い流し(ヤマビルの吐き出す「ヒルジン」という物質のせいで出血はなかなか止まりません)ウェットテイッシュで拭く

2)アルコール綿で傷口を消毒・メンソレータム軟膏を塗布(虫さされ用軟膏が望ましい)

3)傷口にバンドエイド貼付


(出典:神奈川県ホームページ)

こんなにファーストエイド・キットが活躍したのは初めての経験です。こま参道の手前にある観光案内所のご主人曰く、シカの蹄などに付着してヤマビルは行動半径を拡大するのだそうです。観光案内所のご主人がヒル除けスプレーをSさんの登山靴に吹きかけてくれました。自販機で買ったエナジードリンクを差し出すと、Sさんはようやく人心地がついたのか、山頂をめざすファイトを取り戻してくれました。手っ取り早いヤマビル対策は、登山靴に粗塩を塗り込んでおき、塩を持参すること。塩をかければヤマビルはすぐ取れるようです。これからはザックに塩水スプレーを忍ばせておいて撃退しようと思います。

鷹ノ巣山の教訓~「道迷い」に要注意~

先週末、本格的な登山シーズン到来前にトレーニング登山を重ねておこうと、奥多摩十座のひとつ、鷹ノ巣山(1736.6m)・日帰り登山を敢行しました。ホリデー快速おくたま1号でJR奥多摩駅まで移動、バスを乗り継ぎ、奥多摩湖から<水根沢林道>経由、山頂をめざしました。心配したお天気も、午前中は晴れ間もあって山頂付近で小雨に降られた程度で済みました。残念だったのは、ガスのせいで明るく開けた鷹ノ巣山の山頂展望(南面からは南アルプス大菩薩峠・富士山など)がお預けになったこと。危険箇所こそありませんが、標高差1200mは伊達ではありません。奥多摩の山々のなかでは体力を相当消耗する部類だと思います。

鷹ノ巣山は<石尾根縦走路>のほぼ中間に位置するため、幾つもサブルートが存在します。登山開始から数時間を過ぎたあたりで下山者数名とすれ違いました。残念なことに、日原を象徴する稲村岩を望む<稲村岩尾根>経由のメインルートは2年前から通行止めになっています。奥多摩ビジターセンターHPの事前確認を怠っていたら、現地で通行止めを知る羽目になっていたことでしょう。<水根沢林道>の迂回路についても注意喚起があったので、登山前の情報収集の大切さを再認識した次第です。

危険箇所がないと先に書きましたが、上りと下りでそれぞれ1回、道迷いしかけヒヤッとさせられました。上りの<水根沢林道>は淵や瀬が連なり、周囲の景色が混然一体となって、歩いている地点の区別がつきにくくなります。登山開始から1時間半経った頃、倒木が目立つ枯れ沢を横切り右手へと5分ほど進んだところで、踏み痕の残る【登山道もどき】が途切れていることに気づきました。右手の沢に苔むしたか細い丸太橋が見えるのですが、とても渡れるような代物ではありません。振り返って元来た道を戻ろうとしましたが、斜面が邪魔して視界が効きません。直前まで記憶にあった景色は何処へやら。しばし斜面で立ち止まっていたら、少し先に登山者のキャップが見えたので、気を取り直して斜面をトラバース、枯れ沢に戻ることができました(写真下が分岐点になります。左が正しい方向です)。もう一度立ち止まってじっくり周囲を眺めてみると、左手方向に枝に巻かれた小さなピンクリボンが見えます。名づけて、倒木トラップ!そんな箇所に出喰わしたら注意を怠らないことです。移動距離にして50m前後だったにせよ、おかしいと感じたときに元来た道に容易に復帰できないのが「道迷い」なのだと悟りました。ロスタイムは20分前後でしょうか、精神的に相当堪えるトラブルでした。

下りの「道迷い」は急遽ルート変更したことが直接的な原因です。<浅間屋根>経由で峰谷へ下りるはずでしたが、山頂滞在を早めに切り上げたので、JR奥多摩駅に通じる<石尾根縦走路>を下ることにしました。バス便が1日3本しかない峰谷バス停で1時間以上帰りのバスを待つくらいならと思ったわけです。地図で確認すると、<六ツ石山分岐>で六ツ石山方向に進めばJR奥多摩駅に通じています。過ちは、<三ノ木戸(さぬきど)山分岐>で<三ノ木戸林道>へ下ったことでした。薄暗い杉木立の間を縫うように細い道が続きます。本来は蛇行すべき・直進してはいけない箇所で直進したら、【登山道もどき】が途絶え急斜面で立ち往生する羽目に。上りと違ってすぐに本線復帰できましたが、10分くらいのロスタイムでも心理的ダメージは大きいものです。追い打ちをかけるように厄難が降りかかります。<三ノ木戸山分岐>で真っすぐ絹笠方向へ縦走路を進めば3時間前後で下山できたところ、更に1時間を費やすことになったのです。ようやく舗装道路に出たと思ったら、そこから1時間余り、距離にして4.5kmの無味乾燥な道路が待ち受けていました。こうなると恨み節も吐きたくなるというものです。あと付けしたような<三ノ木戸林道を経て奥多摩駅>という手書きの標識は巧妙な罠としか思えません。

週末とはいえ山頂の体感温度は5℃前後。手袋が必要なくらい寒かったので山頂にいた登山者はわずか5名でした。下りに至っては追随する登山者は誰もいなかったはずです。カレンダーを見るとこの日の六曜は先勝、占いどおり、午後は凶と出たわけです。帰宅して、YAMA HACK(2021-7-9更新)の掲載記事を発見して吃驚仰天。奥多摩の道迷い多発コースに鷹ノ巣山が取り上げられているではありませんか<「沢を経由する部分」は登山道を見落としやすい>、自分も実際に経験したばかりの鷹ノ巣山の教訓です。

https://yamahack.com/4876

聖土曜日に聴くBCJの『マタイ受難曲』(BWV244)

キリスト教徒にとってクリスマスより大切な日、それは聖金曜日から始まる3日間です。2022年の聖金曜日は4月16日(月齢で毎年変動します)。イエス・キリストが十字架に架けられたとされる聖金曜日は、米国をはじめヨーロッパの多くの国で祝日になっています。クリスチャンにとって最も縁起の悪い日にもかかわらず、聖金曜日が"Good Friday"と呼ばれるのは、イエス・キリストの死によって神の御子キリストを信じる者の罪が赦されることになったからです。その2日後の日曜日にイエス・キリストは復活します。

バッハの最高傑作にして人類最高の音楽遺産と言われる『マタイ受難曲』は、聖金曜日の礼拝で演奏されてきました。初演は1727年の聖週間の金曜日、会場はライプツィヒの聖トーマス教会でした。4つの福音書に基づきバッハが書き遺した受難曲(passion)は5つあると言われますが、今に伝わっているのは『マタイ受難曲』と『ヨハネ受難曲』だけです。毎年、国内を拠点に聖金曜日に捧げられた『マタイ受難曲』の演奏を続けているのが、音楽監督鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(以下:BCJ)です。

昨年7月、鈴木さんの出版記念講演会を聴講したことをきっかけに、BCJの『マタイ受難曲』のライブ演奏を是非一度聴いてみたいと思うようになりました。聖土曜日の16日、会場・東京オペラシティコンサートホール・タケミツホール(1632席)に足を運びました。陣取ったのは2階バルコニー席。内心、集客が難しいのではと心配していたのですがまったくの杞憂でした。3階席まである客席が9割方埋まっていたのです。同じ会場の前日公演も翌日のミューザ川崎シンフォニーホールの公演もきっと盛況だったに違いありません。地道に定期演奏会を重ねてきたBCJの活動の賜物であることは言うまでもありませんが、全68曲から成る『マタイ受難曲』に魅了される人々がこれほど大勢いること自体に驚きを禁じ得ませんでした。

直前に最高の名盤と言われるカール・リヒターの1958年録音盤を聴いて出掛けたのですが、ライブの圧倒的な迫力には敵いません。コロナ禍が落ち着いてきたことで今年はソリストの一部が客演でした。なかでも、エヴァンゲリスト・トマス・ホッブズさんの朗々たる歌声は鳥肌ものでした。プログラムにない鈴木優人さんのチェンバロ演奏も嬉しいサプライズです。最も有名な39曲のアリア「憐み給え、わが神よ」もさることながら、イエス・キリストが捕縛された瞬間を歌い上げる27曲(a.b.)の二重唱付き合唱がとても印象的でした。演奏時間は20分のインターミッションを挟んで正味3時間弱、次々と名状し難い感動が波のように押し寄せ、気がつけば会場は万雷の拍手に包まれていました。

会場に名を冠した作曲家の武満徹さん(写真上は会場の一角にあるレリーフです)は、生前新しい作曲に取り組む前に必ず『マタイ受難曲』を聴いていたそうです。そして、亡くなる直前にもラジオで『マタイ受難曲』全曲を聴いたのだそうです。そんなエピソードを思い出しながら、この瞬間も素晴らしい演奏の余韻に浸っています。オペラシティのくまざわ書店で探していた礒山雅さんの著書『マタイ受難曲』を見つけました。来年の演奏会に向けて、公式プログラムを副読本にこの大著を読んでおこうと思っています。『マタイ受難曲』をより深く味わえるように。

山野草の宝庫・玉川上水(三鷹橋~むらさき橋)土手に咲く春の花

新緑の季節を迎えると、近所の玉川上水の土手は色とりどりの花で彩られます。なかでも、そこかしこで群生しているのが球根植物のハナニラ(ネギ亜科ハナニラ属)です。葉にニラやネギのような香りがするのでこの名があるそうです。接写した写真のように星形の可憐な花を咲かせます。真っ白だけではなく紫色をした花弁のハナニラも見つけました。可憐さとは対照的に旺盛な繁殖力で勢力を拡大しているようです。

三鷹橋・むらさき橋間は、玉川上水を挟んで南北に遊歩道やベンチ(武蔵野市側)が設けられているので、スポーツジム通いの道すがら、土手を覗き込んでいる人をよく見掛けます。ハナニラと共に目立つのは落葉低木ヤマブキ(バラ科)の黄色い花。個体数の多いハナニラに隠れてひっそりと咲くイチリンソウを見つけると、こちらの方が愛おしく思えてきます。

玉川上水山野草の宝庫。季節の移ろいを感じながらたまには自然観察に興じたいと思います。