聖土曜日に聴くBCJの『マタイ受難曲』(BWV244)

キリスト教徒にとってクリスマスより大切な日、それは聖金曜日から始まる3日間です。2022年の聖金曜日は4月16日(月齢で毎年変動します)。イエス・キリストが十字架に架けられたとされる聖金曜日は、米国をはじめヨーロッパの多くの国で祝日になっています。クリスチャンにとって最も縁起の悪い日にもかかわらず、聖金曜日が"Good Friday"と呼ばれるのは、イエス・キリストの死によって神の御子キリストを信じる者の罪が赦されることになったからです。その2日後の日曜日にイエス・キリストは復活します。

バッハの最高傑作にして人類最高の音楽遺産と言われる『マタイ受難曲』は、聖金曜日の礼拝で演奏されてきました。初演は1727年の聖週間の金曜日、会場はライプツィヒの聖トーマス教会でした。4つの福音書に基づきバッハが書き遺した受難曲(passion)は5つあると言われますが、今に伝わっているのは『マタイ受難曲』と『ヨハネ受難曲』だけです。毎年、国内を拠点に聖金曜日に捧げられた『マタイ受難曲』の演奏を続けているのが、音楽監督鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(以下:BCJ)です。

昨年7月、鈴木さんの出版記念講演会を聴講したことをきっかけに、BCJの『マタイ受難曲』のライブ演奏を是非一度聴いてみたいと思うようになりました。聖土曜日の16日、会場・東京オペラシティコンサートホール・タケミツホール(1632席)に足を運びました。陣取ったのは2階バルコニー席。内心、集客が難しいのではと心配していたのですがまったくの杞憂でした。3階席まである客席が9割方埋まっていたのです。同じ会場の前日公演も翌日のミューザ川崎シンフォニーホールの公演もきっと盛況だったに違いありません。地道に定期演奏会を重ねてきたBCJの活動の賜物であることは言うまでもありませんが、全68曲から成る『マタイ受難曲』に魅了される人々がこれほど大勢いること自体に驚きを禁じ得ませんでした。

直前に最高の名盤と言われるカール・リヒターの1958年録音盤を聴いて出掛けたのですが、ライブの圧倒的な迫力には敵いません。コロナ禍が落ち着いてきたことで今年はソリストの一部が客演でした。なかでも、エヴァンゲリスト・トマス・ホッブズさんの朗々たる歌声は鳥肌ものでした。プログラムにない鈴木優人さんのチェンバロ演奏も嬉しいサプライズです。最も有名な39曲のアリア「憐み給え、わが神よ」もさることながら、イエス・キリストが捕縛された瞬間を歌い上げる27曲(a.b.)の二重唱付き合唱がとても印象的でした。演奏時間は20分のインターミッションを挟んで正味3時間弱、次々と名状し難い感動が波のように押し寄せ、気がつけば会場は万雷の拍手に包まれていました。

会場に名を冠した作曲家の武満徹さん(写真上は会場の一角にあるレリーフです)は、生前新しい作曲に取り組む前に必ず『マタイ受難曲』を聴いていたそうです。そして、亡くなる直前にもラジオで『マタイ受難曲』全曲を聴いたのだそうです。そんなエピソードを思い出しながら、この瞬間も素晴らしい演奏の余韻に浸っています。オペラシティのくまざわ書店で探していた礒山雅さんの著書『マタイ受難曲』を見つけました。来年の演奏会に向けて、公式プログラムを副読本にこの大著を読んでおこうと思っています。『マタイ受難曲』をより深く味わえるように。