2021年マイベストブックは『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』〜祝・第48回大佛次郎賞受賞〜

毎年、年末になると書評子が今年印象に残った本を新聞をはじめ各種メディアが取り上げます。これに倣って2021年のマイベストを問われたら、文句なしに『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』と答えるでしょう。作者・堀川惠子さんは、広島テレビ女性初の報道記者(1992年-2004年)を経て、硬派のノンフィクション作家として活躍されています。遡れば、堀川さんの本との出会いは『チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ』(共著者・小笠原信之|2005年 日本評論社講談社文庫)でした。鮮烈な作家デビューを果たされて以降、徹底した取材と資料収集を通じて次々と話題作を上梓されています。ノンフィクション部門では思いつくかぎりの賞を獲得されています。堀川惠子推しとしては、論客揃いの大佛次郎賞選考委員諸氏を唸らせた『暁の宇品』を彼女の作家活動の集大成と位置づけています。

宇品(うじな)とは、日本軍最大の乗船・輸送基地が置かれていた広島の港(現;広島市港区)のことです。宇品地区に「陸軍船舶司令部」(通称:「暁部隊」)が設置され、補給と兵站を一手に担っていたのです。戦史に明るいつもりでしたが、海軍ではなく陸軍が海上輸送(兵士乗船・補給・陸揚げ等)を引き受けていたとは想像だにしませんでした。ヒロシマになぜ人類初の原爆が投下されたのかという問題意識から発して、戦争を破局に導いた不都合な真実を徹底的に追求した堀川さんの面目躍如といったところでしょうか。梯久美子さんがご遺族に取材して書き上げた傑作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(2006年大宅壮一ノンフィクション賞受賞)に共通するテーマを掘り下げた作品だと感じました。

私事で恐縮ですが、本書を読み進めるうちに、スイス三大銀行(1990年代)のひとつUBSに勤務していたときの記憶が甦りました。邦銀が事務方(バック)と呼び習わす間接部門を、UBSは軍隊用語に擬えて「ロジスティックス」と呼んでいました。「ロジスティクス」すなわち「兵站」です。敷衍すれば、戦闘地域(前線)から見た後方支援活動全般を意図した組織名です。スイスの銀行が間接部門を営業部門と並ぶ両輪と捉えていたのに対し、当時から邦銀は営業部門を重視する傾向が強かったように思います。システムトラブルを繰り返し金融庁から再三業務改善命令を受けるみずほ銀行は、IT部門を軽視した結果、いまだに宿痾から逃れられないでいます。ビジネスを現代の戦と捉えれば、ロジスティクスを軽視する企業の行く末は衰退・破綻しかありません。

太平洋戦争を振り返れば、軍部中央は恰も集団催眠にかかったかの如く版図を拡大することに執着しました。自己革新と軍事的合理性の飽くなき追求を怠り、輸送や兵站を軽視した結果が先の戦争の無残な敗北でした。第一次世界大戦日英同盟を理由に連合国側に参戦しながら、経済力・軍事力を総動員する近代戦の何たるかを学ばなかった帝国陸軍の無知蒙昧ぶりが本書で浮き彫りにされています。前半は、「船舶の神」こと田尻昌次中将が遺した全13巻に及ぶ『自叙伝』を基に、民間船舶の徴用に頼る船舶輸送全般の見直しを図ろうと奮闘する田尻中将を、後半は原爆投下時の陸軍船舶司令官佐伯文郎中将にスポットを当てています。

巻を措く能わず。より多くの人に読んでもらいたい第一級のノンフィクション作品です。

自治体 X コード支払い(PayPayやau PAY等)によるポイント還元キャンペーンの謎

地域経済活性化のためと銘打って、自治体が次々とキャッシュレス決済によるポイント還元事業に乗り出しています。今年4月、港区が<VISIT MINATO応援キャンペーン>と称したポイント還元事業を行った際の還元率は決済金額の50%(ひとり上限5000円まで)と実に剛毅なものでした。このとき対象となったキャッシュレス決済サービスは「LINE Pay」(2022年4月にPayPayに統合される予定)だけでした。一見、港区民でないと利用できないような印象を受けますが、利用対象者は区民以外でもOKです。区外からの集客が狙いだったのかも知れません。知名度が低い「LINE Pay」が認知度向上を狙ったにせよ、こんな美味しいキャンペーンは他にはありません。キャンペーン期間中に六本木ミッドタウンに足を運んで、上限まで買い物をして還元ポイントを有り難く頂戴しました。

さすがにこんな企画は一度かぎりだろうと思っていたら、PayPayと組んで、港区がまたもや<キャッシュレスで「トキメク、ミナトク。」地元応援キャンペーン(10月21日~12月26日)>を始めたことを知りました。還元率は少々低下したものの、それでも最大30%の還元です。港区ホームページを確認すると、付与上限は6000円/回および期間とあります。対象店舗へ幾度も足を運んでチマチマ買い物をしなくて済むので、使い勝手に優れたキャンペーンです。六本木ヒルズへ出掛けて、モンベル製グローブやOD缶を買い求め、蔦屋書店に行って還元上限に満ちるまで本を買いました。上限6000円の還元を受けるには総額2万円の買い物をすればいい計算です。

注意すべきはYahooカード以外のクレジットカードが対象外ということです。お得なキャンペーンだからといって無駄遣いをするのでは本末転倒です。本当に欲しいものや定期的に補充する必要のある日常生活用品などを購入するのが賢い消費行動です。足元の10年国債の利回りはたったの0.045%ですから、金融的に見ても、30%の還元率を享受しない手はありません。

還元率は自治体によってマチマチです。隣町の武蔵野市は「au PAY」や「d払い」と組んで20%還元キャンペーンを実施中です(12/1~12/28)。港区と比較すると、還元率が劣る上に付与上限3000円(1回あたり1000円まで)と制約の多さが気になります。裕福な自治体の方が利用者にとって使い勝手のいいキャッシュレス決済を後押しする傾向があります。人口の少ない自治体は新型コロナウイルスで打撃を受けた中小事業者の支援を優先する分、消費者の選択肢を狭めてしまいます。港区も成城石井や大手ドラッグストアなど大規模フランチャイズを対象から外してこそいますが、ユニクロ、DEAN & DELUCA、トモズなどが加盟店対象になっています。武蔵野市の場合、地域最安値での商品提供を標榜するOKストアが対象なので、地域住民は1回あたりの還元額を意識してこまめに利用すればいいと思います。

自治体によって運用方法が異なるので、利用者は自治体ごとのルール(特に対象店舗)をよく調べて利用するといいでしょう。予算との兼ね合いで期間中、早期に打ち切りになる可能性もあります。いまだに謎が解けないのは財源の問題です。自治体・加盟店・コード決済事業者の三者間の負担割合は一体どうなっているのか・・・・心にわだかまりを抱えながら、還元キャンペーンの動向が気になってしかたがない昨今です。

2021年歳末の青山霊園を訪ねて~お墓参りと墓所散策~

冬至前に両親のお墓参りを済ませておこうと青山霊園を訪れました。お盆やお彼岸なら大勢の墓参客で賑わう青山霊園ですが、師走ともなると人出は疎らでした。年末のお墓参りにはふたつの意図があるように思います。ひとつ目はこの1年無病息災で過ごせたことに対するご先祖様の加護への感謝の気持ちを表すため。ふたつ目はお墓のお掃除です。宗派が仏教であれば供花、我が家は神道なので依り代の榊をお供えします。秋のお彼岸の墓参から3ヵ月近く経っていますから、榊はすっかり色褪せて少し触るだけでハラハラと葉っぱが落ちてきます。外柵の花崗岩の隙間からは雑草が見え隠れしているのでむしって、散らばっている落ち葉や枯れ枝も丁寧に拾います。墓石は水を含んだスポンジで優しく磨きます。年末の晴れた日にお墓の掃除をするのは気持ちのいいものです。

雑草が生い茂り荒廃したお墓がある一方で、いつ訪れてもお手入れの行き届いたお墓もたくさんあります。供花が枯れているのをみたためしがないお墓さえあります。故人の月命日にお墓参りを欠かさないご子孫がいる家庭は幸せです。水替えやお掃除が面倒だからといって生花を造花にしてしまうのはさすがに躊躇われます。遠方だからといって、お墓参り代行サービスに頼るのもしっくりきません。我が家は10年前に思い切って改葬したので、毎月は無理だとしても、定期的なお墓参りは欠かさないようにと心掛けています。

青山霊園の警視庁墓地(西南戦争以降の殉職者を弔う墓地)の一角に、日露戦争講和条約ポーツマス条約)に調印した全権大使小村寿太郎墓所があります。周辺には日本近代史を彩る著名人の墓が多数みられます。少し高台になった警視庁墓地の西側に駐車スペースがあるので、大抵、この辺りを散策してから帰路につくことにしています。戦局有利のなか賠償金を放棄した講和内容に国民は激怒、日比谷焼き討ち事件に発展したのは史実のとおりです。立派な鳥居の先の小村寿太郎のお墓には色とりどりの菊の花がお供えしてありました。ご後昆がお参りしたばかりだったようです。

ロシアとの講和交渉妥結に命を賭した小村寿太郎の生涯を描いた力作『ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎』(吉村昭著・新潮文庫)を読むと、当時、小村が国賊と罵られたのはとんでもない見当違いだったことがよく分かります。関税自主権を回復したのも小村寿太郎の手柄でした。

1874(明治7)年に開設された日本で初めての公営墓地・青山霊園を散策しながら、歴史上の人物に出会うのもお墓参りの楽しい副産物なのです。

村治佳織ギター・リサイタル2021@サントリーホール

正統派クラシックギタリストでありながら、スクリーンミュージックをはじめエリック・クラプトンビートルズのナンバーも情感豊かにカバーしてみせる村治佳織さんのCDを普段から愛聴しています。なかでも一番の推奨盤は『ポートレイツ』。休日の朝にこのアルバムを聴くと心も身体もリラックスできるからです。

2018年にデビュー25周年を迎えた村治さんのライブに一度足を運びたいと思っていました。2年ぶりにサントリーホールでリサイタルが開催されることを知り、チケットを手配しこの日を心待ちしていたのです。

リサイタルのタイトルは“青いユニコーンの寓話”。伴奏者抜きの正真正銘のソロでサントリー大ホールを満席にできるギタリストは彼女を措いて他にはいないでしょう。円熟の境地に達した村治さんの1曲目は『愛はきらめきの中に』でした。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の挿入歌で、12月1日に発売されたばかりのベストアルバム『ミュージック・ギフト・トゥ』の冒頭曲でもあります。リサイタルの主眼は、村治さんが敬愛するキューバのギタリスト、L・ブローウェルの委嘱作品のお披露目でしたが、全篇難解でもどかしい思いが先立ちました。むしろ、『ポートレイツ』にも所収されている第1部の終曲『タンゴ・アン・スカイ』(ローラン・ディアンス作曲)が耳に馴染んでいるので愉しめました。

第2部、コバルトブルーのドレスに身を包んで登場した村治さんを仄かなブルーライトが照らし出します。演奏は言うまでもありませんが、演奏の合間に軽妙な語り口で作品解説を挟むプログラム進行がリサイタルのもうひとつの魅力です。すっかり、本職のアナウンサー顔負けの淀みない彼女のトークの虜になってしまいました。師匠である父・昇さんからギターの英才教育を受けた佳織さんですが、意外や意外、「ギターの原点は(美しい音色より)カッコいい」だったそうです。「箸休めに」と演目にない『禁じられた遊び』のおまけもサービスしてくれました。最終曲の演奏が済むと、「視力が1.2もあるので観客の皆さんの顔がよく見えます」と笑いを誘いながら、四方の客席に手を振る仕草の可愛いこと。

アンコールは『カヴァティーナ』と『メモリー』の2曲、映画『ディア・ハンター』のテーマ曲とミュージカル『キャッツ』を代表するナンバーです。心に染み入るようなエンディングでした。7年ぶりのベストアルバムのライナーノーツにはこうあります。

<Look, a new day has begun. 「メモリー」の歌詞はこう締めくくられます。a new dayは命ある限り誰のもとにも毎日やってきます。自分自身の日常、世界の日常、どちらも一変することもあり得るのがこの世界だと学びました。>

アルバムタイトルの如、ミューズ・村治佳織さんからの素敵な贈り物(ギフト)に心を揺さぶられた夕べでした。

2021年師走の御岳山・大岳山・鋸山縦走~JR御嶽駅から奥多摩駅へ~

檜原村奥多摩町の境界、奥多摩山域にある大岳山(おおたけさん)をめざして初冬の縦走にチャレンジしました。今回の山行は本格的な登山が2回目となるYさんのために計画したものです。Yさんに登山を勧めた手前、ガイド役を引き受けざるを得なくなった恰好です。自分の周りには、登山やトレッキングをしたいと思いながらなかなか一歩を踏み出せないでいる人が相当数います。理由はふたつあるように思います。登山を始めるにあたって、先ず「三種の神器」すなわち「登山靴」、「リュック(バックパック)」、そして「レインウエア」を買い揃える必要があります。さらにウェアなど最低限のギア(装備)を含めれば、少なく見積もっても10万円前後の出費になります。ひとつめは経済的な問題です。次に来るのは、<何をどこで買ったらいいのか分からない>というのが本音ではないでしょうか。Yさんのように腹を括って基本装備を揃えてしまえば、元を取らないといけませんから、自ずとモチベーションが上がるというわけです。

今回の山行は距離にして約12km、コースタイムは6時間5分です。登山を始めたばかりのYさんにはかなりタフな行程です。JR御嶽駅から京王バスでケーブル下滝本駅まで移動、ケーブルカーに6分乗車して一気に426m標高を稼ぎます。従って、登山の起点はケーブル御岳山駅ということになります。ところが、初っ端から予期せぬアクシデントに見舞われ、登山開始が予定より43分も遅くなってしまいました。青梅駅における乗り継ぎが車両トラブルの影響で大幅に遅れたことが原因です。我々も含めた大勢の登山者が思わぬアクシデントに動揺したことは間違いありません。冬至を目前にしたこの日の日没は16時28分、下手をすれば日没後の下山を覚悟しなければなりません。40分余りの遅れを取り戻すのは容易ではないだけに、大岳山登頂後、ロックガーデン経由御岳山方面に引き返すプランBが頭を過りました。

御岳山で安全祈願を済ませ、参道階段中腹を左手へ進み奥の院(写真右上)をめざします。Yさんにはなかなか険しい上りでしたが、奥の院手前の鎖場を無事通過、2時間足らずで鍋割山(1084m)にたどり着きました。ハイペースに加え頂上直下の鎖場や岩場にへこたれなかったYさんの頑張りのお蔭で、大岳山(1266m)山頂に予定より13分も早く到着できました。この日は風もなく視界は良好、山頂標識背後に雪化粧した富士山や丹沢山塊が望めました。大岳山に限らず、山頂で富士山が見えると誰しも忽ちテンションが上がります。Yさんには最高のご褒美でした。12時30分過ぎ、山頂でカップ麺ランチ、食後にドリップ珈琲を頂きました。山頂にいたパーティは自分たちを含めわずか5組、登山者がぐっと減って山頂をほぼ独り占めできるのがオフシーズン登山の利点なのです。

順調に来たのでプランAを続行、ここからいよいよ日没との競争です。後続の登山者は皆無、大岳山から鋸山(1109m)へとアップダウンを繰り返しながら尾根歩き。鋸山山頂で一休みして西に向かって鋸尾根を下ります。15時を回ると一気に陽が傾いてきます。途中、鉄梯子や鎖場もあるので気を抜けませんが、実に心地のいい尾根歩きでした。大天狗・小天狗の石像が祀られた祠周辺まで来ると視界が開け、奥多摩三山のひとつ、御前山(ごぜんやま・1405m)が望めました。そこからは加速度的に高度を下げていきます。単調な下りを辛抱し愛宕山(507m)から188段の急な石段を下れば、登計園地ふれあい広場です。Yさんは時間をかけて慎重に石段を下って広場で追いついてくれました。エレベーターを使わないで自宅マンション7階とエントランス間を昇降するトレーニングに勤しんだ結果でしょうか、最後の難所もクリアしてくれました。

16時45分、昭和橋を渡ってゴールのJR奥多摩駅に到着。16時52分発の青梅駅行きに乗車すると、とっぷり日が暮れて車窓からはポツリポツリと人家の明りが見えます。山間を縫って、電車で20分足らずのJR御嶽駅奥多摩駅間を7時間かけて踏破した計算です。Yさん、本当にお疲れ様でした!

並河靖之七宝記念館を訪ねて

本年12月13日から2023年春まで保存修復事業のため長期休館になると知って、京都市東山区三条通にある並河靖之七宝記念館を訪れました。秋季特別展<並河七宝を語りつぐ>の会期終了間際でした。この記念館は1896(明治29)年に竣工した七宝作家並河靖之(1845-1927)の旧居宅兼仕事場で、庭園(京都市指定名勝)は植治こと七代目小川治兵衛が手掛けたことで知られています。

2017年に東京都庭園美術館で開催された初の大規模回顧展(「並河靖之七宝展」)を見て以来、並河靖之が生涯をかけて極めた有線七宝の超絶技巧にすっかり魅せられ、並河靖之七宝記念館を訪れる機会を窺っていました。受付を抜けるとすぐに代表作《藤草花文花瓶》と4年ぶりの再会を果たせました。流麗な花瓶のフォルムに沿うように二色の藤の花があしらわれています。計算し尽くされた均斉美と光沢に改めて目を奪われました。作品の9割以上が海外に輸出されたためか、展示品はさほど多くありません。ひとわたり展示品や邸内を鑑賞したあとは、母屋の縁側に腰掛けて庭の景色を楽しみながら往時を偲ぶことに。軒下まで迫る池のお蔭で水面に浮遊しているような感覚を味わえます。

帰りしな、たまたま西隣のお宅の表札に目が留まって吃驚、<小川治兵衛>とあります。お隣同士だったからこそ、こじんまりとしたお庭でありながら、稀代の作庭家の粋が詰まった池泉回遊式庭園に仕上がったのでしょう。のちに「水の魔術師」と呼ばれることになる植治が琵琶湖疎水を民家に引き入れたのは、並河邸が初めてだったそうです。

中央区明石町界隈〜学校発祥の地めぐり〜

毎年12月に入ると人間ドック受診に聖路加国際病院附属クリニック(中央区明石町8-1)を訪れることにしています。自宅から小一時間かかりますが、長年通っているのでフローに慣れている上、当日に担当医師と面談が組まれ大凡結果が分かるので、重宝しています。

週末でお天気も良かったので、日比谷線築地駅から直帰するのはやめにして、東京駅まで歩くことにしました。聖路加国際病院周辺に慶應義塾や女子学院などの学校発祥の記念碑があることは見知っていたのですが、居留地中央通りを北進すると数分で左手にハチミツ色をした堂々たる佇まいの明石小学校が見えてきました。2010年に建替えられる前の校舎は、鉄筋コンクリート造の先駆けで竣工は大正15(1926)年に遡ります。明石小学校と道挟んで東側にはドーリア式柱が印象的なカトリック築地教会(関東大震災で焼失・1927年再建)があります。周辺には暁星学園雙葉学園発祥の地の記念碑が設置され、さながら学校発祥の地めぐりをしているようでした。両校の現在の所在地は千代田区富士見や同六番町ですが、中央区明石町が発祥の地だったわけです。幕末から明治にかけて外国人居留地だったことが、ミッション系の学校が次々とこの地で誕生した所以なのでしょう。

郊外に住んでいると、明石町界隈を散策する機会などめったにありません。たまには寄り道をしてみるものです。亀島橋を渡った西詰には、芭蕉の句碑や説明板が設置されていました。設置者は、「中央区水とみどりの課」とあります。東洲斎写楽伊能忠敬が八丁堀亀島町に居を構えていたことを初めて知りました。寄り道のお蔭で江戸時代初期から幕末明治へと思わぬタイムスリップを愉しめました。寄り道の効用を見くびってはなりません。