NHK Eテレ・桂文枝師匠の「最後の講義」~医師に求められる基本的な資質~

六代目桂文枝師匠は1943年7月16日生まれ。去年、傘寿を迎えられて、全国各地で傘寿記念落語会が開かれています。今年6月、銀座で開催される<文枝師匠!傘寿おめでとう!『文枝と小朝の二人会』>に申し込んでありますが、ここに限らずどの会場も抽選制のようです。抽選結果はどうなりますやら。過去数度、文枝師匠の噺を聞いたことがありますが、毎回、お腹がよじれるくらい笑わせてくれます。軽妙な語り口に加え、軽快なテンポで次々と繰り出されるネタが面白すぎて、笑いが途切れる刹那が殆どありません。文枝師匠が得意とするのは創作落語。これまでに拵えた落語は324題に上るそうです。書庫に収まった厖大なネタ帳こそ、師匠の落語家魂そのものです。古典落語もネタ下ろしのときは新作落語。昭和から平成、令和へと移ろいゆく世相を鋭い観察眼であぶり出すことにかけては、師匠を凌ぐ落語家は見当たりません。余人をもって代えがたいとはこのことです。

最近、Eテレで放映された師匠の「最後の講義 (The Last Lecture)」を視聴しました。番組HPには、「もし人生が最後だとしたら、何を伝えたいか・・・」各界第一人者が語る珠玉のメッセージとあります。過去登壇したのは、ジャズピアニスト山下洋輔、女優岩下志麻、建築家伊東豊雄、三國シェフなど錚錚たる方々です。

師匠が希望した聴講生は医学部の学生に研修医を含む現役医師(会場:東邦大学大森キャンパス)。冒頭、病院待合室の患者さんをネタにここ一番の「つかみ」を披露します。最初から最後まで想像していた講義とはずいぶん違っていましたが、胸にぐっと来る内容でした。番組をDVDに焼いて外科医の息子に見てもらうつもりです。

2021年1月、師匠は妻・真由美さんと母親・治子さんを相次いで喪っています。銀行員だった父・清三さんは、病を抱えていたにもかかわらず徴兵され、訓練中に28歳の若さで戦死しています。生後11か月で清三さんは亡くなっていますから、父親の顔を師匠は写真でしか知りません。母親から真面目一徹なお父さんだと聞かされてはいましたが、実は落語好きで、勤務先でも度々聞き覚えたばかりの小噺を披露していたのだそうです。血は争えません。母子家庭で育った師匠が真っ当な人生を歩めるようにと、母親は清三さんのことを折り目正しい人柄だと伝えていたのでしょう。大学に入学し、落語に目覚めて落語家を志したとき、母親から怒られたと師匠は回想します。デビュー後、瞬く間に落語界の寵児となった師匠の人生は順風満帆だとばかり思っていたので、しんみりさせられました。

講義の前に、師匠から聴講生に次のようなお題が与えられました。お弟子さんにも似たようなお題を与え、師匠が逐一採点するそうです。患者の「白い錠剤です」に続けて、聴講生は医者の立場で気の利いた返事をしなければなりません。初対面の患者さんの緊張を解きほぐすようなユーモア溢れる解答に師匠は期待しているようです。模範解答は末尾に記しておきます。最近は電子カルテばかりに気をとられ患者さんと対面しない医者が増えています。コミュニケーション能力に大きな疑問符がつく医者も少なくありません。どうせなら、思わず会話が弾むような、優しくてユーモアや機知に富んだお医者さんに診てもらいたいではありませんか。

医者「いつも飲んでいる薬はあるのですか?」
患者「あります!」
医者「どんな薬ですか?」
患者「えーっと、よく分かりませんが、白い錠剤です」
医者「各自・解答

師匠曰く<人は生まれたときと死ぬときお医者さんの世話になる>。これが聴講生に医師の卵と現役医師を選んだ理由だそうです。師匠は他界した妻や母親に1日でも長く生きて欲しかったといいます。患者さんに寄り添い患者さんの命を何としても救うのだという強い意志を持った医師になって欲しいと師匠は結びます。限りある命だからこそです。

医者「分かりました、今ので一万種類まで絞れました」