ブックレビュー|『列車にのった阿修羅さん』(いどきえり著・くもん出版)

劈頭こそ真珠湾攻撃で華々しい口火を切ったものの、太平洋戦争開戦から半年も経たない1942年(昭和17年)4月18日、日本は米軍による本土空襲に遭っています。16機編成の爆撃機隊を指揮したジミー・ドーリットル中佐に因んで「ドーリットル空襲」と呼ばれています。戦局が大きく傾いた1944年(昭和19年)7月から「学童疎開」が始まり、約35万人の児童が集団疎開したと云われています。

太平洋戦争中に疎開を余儀なくされたのは人だけではありません。仏像の宝庫だった京都や奈良では、空襲に備え、仏像も疎開の対象となったのです。今年6月に出版された『列車にのった阿修羅さん』(いどきえり著・くもん出版)は、「仏像疎開」という実際にあった出来事を取り上げた児童書です。主人公は国民学校5年の舟山総一郎です。総一郎少年と同級生の大城陽介は、総一郎の四つ下の弟・健次郎を交えて、兵隊ごっこに明け暮れています。総一郎の夢は戦闘機乗りになることです。子どもたちは日本が敗戦に向かってひたすら突き進んでいることをまだ知りません。

1945年7月、奈良県吉野町にある舟山家の土蔵に秘密裡に運び込まれたのは、日本で最も有名な仏像のひとつ、興福寺の国宝「阿修羅像」でした。物語に登場する舟山家は、吉野山で葛菓子を商う舟知家がモデルです。舟知家の土蔵には、興福寺の阿修羅像や八部衆像、十大弟子像をはじめ超一級の文化財33点が運び込まれたのだそうです。800年続く「和歌の家」冷泉家が昔ながらの土蔵を建設中だと云います。温湿度管理に優れる土蔵は数百年経っても建替え不要で、100年足らずで寿命を迎える鉄筋コンクリート造りより遥かに保管庫にふさわしいのだそうです。商家・舟知家の土蔵に白羽の矢が立ったのもきっと同じ理由からでしょう。

注目すべきは、政府から「仏像疎開」を命じられた寺社側の対応です。ご本尊は寺社にとって信仰の対象そのものであり、本堂に安置されて毎日拝んでこその大切な存在です。仏さまに対する政府の位置づけは文化財(美術品)ですから、疎開受け容れをめぐって喧々諤々議論する寺社の対応は政府からすればまだるっこしく感じられたことでしょう。覚悟を決めた興福寺は仏像を疎開させることに同意します。列車に乗せるといっても、働き盛りの男は根こそぎ兵隊にとられていますから、荷役を担当したのは奈良刑務所の囚人でした。仏像が目的地に無事移送されるのかどうか、僧侶たちはさぞや気を揉んだことでしょう。吉村昭の短編集『脱出』のなかに「焔髪(えんぱつ)」という佳作があります。この作品を読むと、東大寺でも「仏像疎開」にあたって様々な議論がなされたことが分かります。

日本が敗戦し、主人公の総一郎少年は軍神・阿修羅が日本を守ってくれなかったことに苛立ちを覚えます。やがて、「阿修羅像」が興福寺に戻ることが決まり、僧侶から阿修羅が(インドラとの)戦いの虚しさを知って釈迦を守護する「八部衆」のひとりになったことを教わります。

「阿修羅像」が疎開のために興福寺を離れるとき、僧侶はお経をあげて「御魂抜き」をし、舟山家に着いたら再びお経をあげて「御魂入れ」をします。戦争は銃弾が飛び交う戦場だけで行われていたわけではありません。敗戦から78年、児童生徒は無論のこと、戦争末期の想像を絶する混乱の最中に前代未聞の「仏像疎開」が行われたことを知る人は極めて少数派でしょう。丹念な取材に基づいて書かれた本書は、児童向けながら、大人にも読んで欲しい一冊です。