司馬遼太郎生誕100年の<菜の花忌>(前篇)

2月12日は司馬遼太郎さんの命日<菜の花忌>。この日、午前中に東大阪市司馬遼太郎記念館東大阪市)を訪れ、午後から近隣の東大阪市文化創造館で開催された「第26回菜の花忌シンポジウム」に出席しました。

最寄駅の近鉄奈良線・八戸ノ里(やえのさと)駅を降りると、プランターに植えられた菜の花が出迎えてくれました。今を盛りと咲き誇る菜の花が記念館に通じる沿道を飾り、恰も道しるべのようです。野草、とりわけ菜の花やタンポポといった黄色い花を愛した司馬さんを偲んで、地域の人たちが植えたのだそうです。今年は司馬遼太郎生誕100年の節目の年でもあります。記念館に到着すると、開館前にもかかわらず、門扉の前に行列が出来ていました。

歴史小説の泰斗・司馬遼太郎さんを知らない日本人は皆無ではないでしょうか。文藝春秋社から刊行された全集は68冊を数え、そのうち長編小説が39篇ですから、その筆力たるや超人と言うしかありません。司馬さんが長編小説執筆に取り掛かるや、関連書籍一切が神田神保町古書街から忽ち消えたという逸話は有名です。代表作『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』が読者を惹きつけてやまないのは、こうした徹底的な史料蒐集と検証の賜物でもあるのです。

NHK大河ドラマの原作に採用された司馬作品は歴代最多の6つです。司馬遼太郎を知ったのは中学生のときに遡ります、奇しくも、中・高時代を過した岐阜市(美濃)を舞台にした『国盗り物語』が大河ドラマ化された時期と重なります。この頃、「週刊朝日」で連載が始まった「街道をゆく」も読み始めました。

司馬作品の最大の魅力は、人物造形の巧みさにあります。司馬さんは、史実の空白地帯を豊かな想像力で補いながら、人間味溢れる歴史上の人物を次々と登場させて壮大な物語を紡いでいきました。司馬さんは、シンポジウムで作家の門井慶喜さんが指摘したように、武将や軍人のストイックな側面だけをフォーカスせず、人間的な弱さを肯定することで読者の圧倒的な共感を誘ったのです。

司馬さんは、小学6年生向けの教科書に示唆に富む素晴らしい文章を認めています。記念館のホール入口手前に「二十一世紀に生きる君たちへ」と題したこの文章が掲げられていました。大人が読んでも人生の大きな糧となる内容でしたので、その一部を引用して、前篇を締めくくりたいと思います。奇跡の惑星・地球が存亡の危機に瀕している今、司馬さんの珠玉の言葉の数々は心に重く響きます。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」~中略~「この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある」