本が主役の安藤建築|「司馬遼太郎記念館」&「こども本の森中之島」

初めて対面した安藤忠雄の建築は、京都・高瀬川沿いにある商業施設「タイムズ」でした。高校生のとき、安藤建築をひと目見ようと京都を訪れた記憶があります。近代的でクールな印象を与える「コンクリートの打ち放し」が古都京都の街並みと意外に馴染んでいて、むしろ相性がいいと思ったくらいです。今日まで続く美しい建築への憧憬はこの頃芽生えたのかも知れません。今や「コンクリートの打ち放し」は安藤忠雄の代名詞といって過言ではありませんが、その歴史は意外に古く、フランク・ロイド・ライトのスタッフとして来日したチェコの建築家アントニン・レーモンドが雲南坂の自邸で実現した時期(1920年代)に遡ります。やがて、丹下健三による代表的モダニズム建築である原爆資料館こと広島平和記念資料館(1955年)やル・コルビュジエ国立西洋美術館(1959年)をはじめ、「コンクリートの打ち放し」による傑作建築が次々と誕生します。

司馬遼太郎の命日「菜の花忌」に大阪を訪れたもうひとつの目的は、安藤忠雄が設計した「司馬遼太郎記念館」(2001年開館)と「こども本の森中之島」(2019年竣工・2020年7月開館)に入館し、その空間に実際に身を置いてみることでした。どちらも外観は「コンクリートの打ち放し」で、内部に大きな吹き抜け空間を設け、壁一面に天井まで届く書棚を設けた点に共通点があります。

住宅地にある「司馬遼太郎記念館」の全貌を外から窺うことはできません。公共建築であれば視認性が重視されますが、旧宅と地続きの記念館は雑木林やフェンスなどの遮蔽物が邪魔して姿かたちの一部しか拝めないのです。周囲の住環境に配慮した結果なのでしょう。入口に通じる長めの廊下は弧を描き、たっぷりと日差しが注ぎ込むように設計されています。建物のなかで最も開放感を味わえる場所です。足元には菜の花が置かれ、優美な「アール」が未知の空間へ誘う役割を果たしています。建物の構造が外見から想像しにくいことが却って記念館の魅力を昂じているように思います。階段を伝って展示室のある地階に下りると高さ11m・3層吹き抜けの大書架が屹立し、見る者の度肝を抜きます。大書架を埋め尽くすのは司馬さんの蔵書(の一部2万冊)と初版文庫版282冊です。巨大な山嶺に例えられる司馬作品群にふさわしい安藤建築の傑作であり、司馬さんへの惜しみない愛情が注がれた入魂の作品だと感じました。さらに付け加えておきたいのは、旧宅の書斎を望むように大書架の東側に設けられた幅6mX高さ7mのステンドグラスの完成度の高さです。無色のステンドグラスだけを用い大小さまざまな矩形で構成されたガラス面はシンプルかつ直線的なデザインでひと目で気に入りました。内部の写真撮影はNGですので、内部の写真は公開されている写真から拝借しました。

コロナ禍に開館した「こども本の森中之島」は、事前予約制のため入館できませんでした。週末は事前予約枠がかなり前から埋まっていたからです。近隣には岡田信一郎が設計した赤レンガ造りの大阪市中央公会堂(重文)がありますが、「こども本の森中之島」は水際の周辺環境とよく調和しています。オープンスペースに設置された「青りんご」のオブジェが、無機質なコンクリートと好対照の鮮やかなアクセントになっています。壁面にはサミュエル・ウルマンの詩「青春("YOUTH")」の原文と和訳が掲げられ、安藤忠雄の次のような言葉で締めくくられています。

<目指すは甘く実った赤りんごではない。未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神です。>