2022年二月大歌舞伎第二部|十五代目片岡仁左衛門演じる一世一代の碇知盛

2022年二月大歌舞伎第二部の演目は『義経千本桜』二段目でした。「渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつうら)」に続けてチラシにはこう銘打たれています。

片岡仁左衛門 一世一代にて相務め申し候>

十五代目片岡仁左衛門さんはこの3月に78歳を迎えます。2015年に人間国宝に認定され、2018年には文化功労者に選ばれています。「一世一代」とは、仁左衛門さんのように年齢を重ね名実共に円熟を極めた歌舞伎役者が引退を覚悟して勤める最後の舞台や演目(役柄)のことを指して言います。つまり、仁左衛門演じる渡海屋銀平(実は新中納言知盛)はこれが演じ納めですよというわけです。メッセージが観客に響いたのでしょう、陣取った3階席は満席でした。五段からなる『義経千本桜』の二段目を観るのは初めて。仁左衛門さんの碇知盛の演じ納めに立ち会える歓びを開演前から噛みしめていました。

壇ノ浦の合戦で落命したはずの平知盛が実は身を潜めながら生きていて平家再興の機を窺うという壮大なスケールで物語は展開します。廻船問屋渡海屋の主・銀平の衣装に注目です。花道から颯爽と登場する銀平が身にまとっているのは、アイヌ民族由来のアットゥシと呼ばれる独特の文様をあしらった衣装。銀平は一度引っ込み、長刀を携えまばゆいばかりの白糸威(しらいとおどし)の鎧姿で現れます。義経時蔵)一行を襲う亡霊に扮していることを暗示しています。義経探索のために遣わされた相模五郎(又五郎)と入江丹蔵(隼人)は銀平にやり込められ退散しますが、実は知盛の家来で、義経一行を欺くために一芝居打っているのです。ふたりの魚づくしの台詞廻しが面白く、世話物のように軽快なテンポに引き込まれます。銀平の女房お柳(孝太郎)も仮の姿、実は幼い安徳帝のお世話をする乳母(典侍の局<すけのつぼね>)です。本当は高貴な身分の女官ですから難しい役どころです。

20分の幕間を挟んでいよいよクライマックス「大物浦」の場へ。舞台は渡海屋奥座敷、駆け参じた相模と入江から戦況芳しからずと知ると、奥座敷の簾が上がり、典侍の局と従う女房は客席を背にして大海原へ心配そうな視線を送ります。消えゆく船上の松明を見て知盛の敗北を悟った女房らは次々と入水していきます。これに続かんと安徳帝を抱き掲げ身を投げようとする典侍の局に義経家臣が迫り、入水を阻まれてしまいます。

すると波頭をあしらったブルーの道具幕が下り、場面が堆い崖へと切り替わります。血糊に染まった知盛の白装束がすべてを物語っています。刺さった矢を抜き血糊を舌なめずりして崖に放り投げる知盛の執念は尋常ならず。知盛の首に数珠をかけて出家を促す武蔵坊弁慶左團次)に抗い、凄まじい形相で数珠を引きちぎって投げ捨てます。平家一門の無念を晴らさんと鬼気迫らんばかりの形相でなおも闘志をむき出しにする知盛に対して、義経の家臣に抱きかかえられた安徳帝(小川大晴君=中村梅枝さんのご長男)が「義経の情けを仇に思うな」と言葉をかけます。甲高い声ではっきりと澱みない台詞廻しはお見事でした。我に返った知盛は穏やかな表情を取り戻し、父清盛の悪行の報いだと観念し覚悟を決めて崖を上ります。安徳帝典侍の局の「波の下にも都はございます」の下りは落涙ものでした。

安徳帝の守護を義経に託した知盛は、太い碇綱を身体に巻きつけ、両手で大きな碇を高く持ち上げ背後の海に投げ込み、そのまま引きずられるように背面から海中に没していきます。知盛の両足裏が視界から消え去る圧巻の最期です。新・歌舞伎座が竣工した2013年以降の数々の舞台を思い返してみても、今回の仁左衛門さん演じる一世一代の碇知盛は間違いなくトップ5に入ります。口跡、振り、姿の三拍子揃った不世出の名優十五代片岡仁左衛門の碇知盛の演技を目に焼きつけることが出来て本当に幸せでした。一等席を手配しなかったことが少し悔やまれます。蛇足ですが、3階A席3列目からは大海原に消える知盛を受け止める黒子さんの頭巾が見えてしまいます。終息しないコロナ禍のせいで、大向こうから<松嶋屋>の掛け声がなかったことが返す返すも残念でなりません。

演じ納めの舞台での親子共演、仁左衛門さんにとっても役者冥利に尽きる舞台だったに違いありません。幕切れ、知盛を手向けんと弁慶が吹く法螺貝の音色が諸行無常の響きとなって心に染み入りました。大原御幸の際に後白河法皇が詠んだ歌が思い出されました。

<池水に汀の桜散りしきて 波の花こそ盛りなりけれ>