『ゴルトベルク変奏曲』(BWV988)の演奏をライフワークにされているピアニスト高橋望さんのリサイタルに通い始めて今年で3年目。昨年の東京オペラシティ・リサイタルホールから会場を浜離宮朝日ホールに移して、1月22日(土)にリサイタルが開催されました。少し早めに会場入りして舞台向かって左手前方4列目に陣取り、鍵盤上を左右の手が頻繁に交差する運指の妙を観察することにしました。30に及ぶ多彩な変奏(下記は演奏会パンフより)で構成される『ゴルトベルク変奏曲』をピアニストの運指に注目しながら聴くのは頗る新鮮な体験でした。視覚に訴えるピアニストの身体性と聴覚で捉えるピアノの響きが一体化すると、CDなど音源を通して聴くのとはまったく別物に感じられました。今年は暗譜演奏だったので身体表現がより際立っていたように思います。小節間のインターバルの長短を巧みに調整しながら、瞑目したり天を仰いだりするピアニストの仕草がとても印象的でした。
不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のために献呈された『ゴルトベルク変奏曲』は、アカデミー賞5部門受賞に輝いた映画『羊たちの沈黙』(1990年)の重要シーンで流れます。最近、WOWOWで『羊たちの沈黙』のその後を描くサスペンスドラマ『クラリス』の配信が始まったので、おさらいを兼ねて『羊たちの沈黙』を視聴しました。アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクター博士は著名な精神科医であり猟奇殺人犯。この一筋縄ではいかない凶悪犯レクター博士は厳重に管理された独房に閉じ込められ、自由を束縛されています。情報提供と引き換えに手に入れたカセットテープから流れる『ゴルトベルク協奏曲』を聴きながら、レクター博士は巧妙な手段を弄して移送先から脱出を図ります。原作によれば、グレン・グールドの名盤(81年版)を博士自身がリクエストしたことになっています。
『ゴルトベルク協奏曲』には、不眠症や閉塞症状といったある種の極限状態に安らぎをもたらす浄化作用があるように思います。デトックス効果と呼んでもいいでしょう。ときどき『ゴルトベルク変奏曲』を聴きたくなるのは、似たような閉塞状況に陥っているからに違いありません。ある種の状況(周囲の環境)下で鑑賞されることが選好されるという点で、作曲家ブライアン・イーノが提唱したアンビエント・ミュージックと解する余地がありそうです。
【2023年の公演情報】
来年の会場は今年と同じ浜離宮朝日ホール。10年連続10回目の節目となる演奏会は2023年1月21日(土)14時開演です。