2020年11月25日は、三島由紀夫が陸上自衛隊東部方面総監室で割腹自殺を遂げた「三島事件」(1970年)からちょうど50年目に当たります。たまたま訪れていた友人宅のテレビのニュース速報で「三島事件」を知ったときの衝撃は今も脳裡に焼きついています。稀代の天才作家三島由紀夫がなぜ45歳という若さで自決しなければいけなかったのか?ドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』は、50年目のこの節目に事件を振り返り三島の立ち位置を考える意味で、絶好の機会を与えてくれました。都内ではUPLINK渋谷で上映中です。
1969年5月13日、東大全共闘の求めに応じて、駒場キャンパス900番教室に単身乗り込んだ三島由紀夫が1000人もの聴衆を前に熱弁をふるう姿をカメラが克明に追いかけます。900番教室の手書きポスターには「東大動物園駒場分室 特別出品三島由紀夫 飼育費100円以上 焚祭委員会」とあります。特別警視庁からの警護を断った三島は、駒場入りしたときの様子をこう振り返っています。辱めを受けた場合に備え、三島は短刀を携えていたそうです。
ふと見ると、会場入口にゴリラの漫画に仕立てられた私の肖像画が描かれ、「近代ゴリラ」と大きな字が書かれて、その飼育料が百円以上と謳つてあり、「葉隠入門」その他の私の著書からの引用文が諷刺的につぎはぎしてあつた。私がそれを見て思はず笑つてゐると、私のうしろをすでに大勢の学生が十重二十重と取り囲んで、自分の漫画を見て笑つてゐる私を見て笑つてゐた。— 三島由紀夫「砂漠の住民への論理的弔辞――討論を終へて」
登壇した三島を司会役の学生が思わず「三島先生・・・」と紹介する冒頭からして、すでに武闘派と目された全共闘が劣勢です。終始一貫、冷静に理路整然と討論に臨んだ三島に聴衆は次第に引き込まれていきます。ヤジもなりを潜め、「お前を殴る」とヤジを飛ばした学生が主催者から窘められるシーンさえありました。「三島を論破して立往生させ、舞台の上で切腹させる」と嘯いていたという全共闘は、思想において対極の立場にある論客三島を論駁すること能わず、逆にユーモアを交えた切り返しに遭う場面が多かったように思います。<空間>のなかでの理念的革命をめざす全共闘に対して、三島が訴えた<時間の持続>の方に説得力を感じました。行動する作家三島の<行動の無効性>を容赦なく論う全共闘に対して、(君たちだって)大掃除のような恰好をしてと揶揄するあたり、三島の当意即妙の受け応えには舌を巻かされます。堂々たる三島の横綱相撲の前では東大全共闘は牙も爪も奪われた恰好です。東大全共闘随一の論客芥正彦氏のアイデンティティが一向に像を結ばないのに比べ、背も鼻も低い「日本人」で結構だと断じる三島は常に明快でした。だらしない国の政権や共産党組織に矛先を向ける東大全共闘の視野狭窄には唖然とさせられます。総じて、東大全共闘の主張は観念的で理解に窮すること場面が多々あったのに対し、巧みな比喩を織り交ぜながら飾らない平易な言葉で聴衆に語りかけた三島の弁舌は見事というほかありません。公の席での青年嫌い発言とは裏腹に、主義主張を超えて、三島はひたむきな青年が好きで堪らなかったのでしょう。1000人もの聴衆を前に終始誠実な態度で向き合った三島は、本気で彼らを説得しようと思っていたに違いありません。大きく見開いた眼には英気が漲り、発する言葉ひとつひとつに凛とした力が宿っていました。インタビューを受けた内田樹(『街場の天皇論』で三島に言及しています)が解き明かしたとおり、平行線に見えた三島と東大全共闘は<反米愛国主義>という一点で結託する可能性があったのかも知れません。<天皇制>をめぐる天皇親政=直接民主主義という三島の視座は一考に値するように感じられます。
「言霊(ことだま)を私は残して去っていく」という言葉を残して三島は会場をあとにします。どちらかといえば三島文学を毛嫌いしていたことを猛省し、皮切りに、この「伝説の討論会」を文庫版『美と共同体と東大闘争――討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』(角川文庫、2000年7月25日) を手にとって顧みることにします。映画の45年という短い一生で全集にして40冊を超える著作を遺した三島由紀夫はとてつもなく大きな存在なのだと、この映画を観て再認識させられました。討論会での「非合法の暴力」を肯定しつつも、三島は自力行使に及んだ場合自裁するとはっきりと語り、1年半後そのとおりになります。同時代のオピニオンリーダー吉本隆明は「暫定的メモ」にこう記します。
そして問いはここ数年来三島由紀夫にいだいていたのとおなじようにわたしにのこる。〈どこまで本気なのかね〉。つまり、わたしにはいちばん判りにくいところでかれは死んでいる。この問いにたいして三島の自死の方法の凄まじさだけが答えになっている。そしてこの答は一瞬〈おまえはなにをしてきたのか!〉と迫るだけの力をわたしに対してもっている。— 吉本隆明「暫定的メモ」
三島由紀夫の自裁から50年、この国のかたちは益々頼りないものになりつつあります。熱情は冷め切り、敬意はとうの昔に喪われ、匿名の薄っぺらい言葉がネット上で横溢するこの国の今を三島由紀夫はどう見るのでしょうか。
- 作者:三島 由紀夫
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 文庫