深田久弥と谷川岳〜下山後の『日本百名山』読み返し〜

8/10の昨日は7回目の「山の日」。五輪特措法で2020年は1日前倒しになったのでしたね。「海の日」が祝日なら「山の日」もあって良いと思います。

さて、百名山にアタックする場合、登山の前後どちらかで登山者のバイブル『日本百名山』(1991年刊行の新装版)と『深田久弥選集 百名山紀行(上・下』(2015年刊行・ヤマケイ文庫)の該当箇所を読み返すことにしています。

隔世の感といいますが、深田久弥(1903〜1971)が登山に傾倒していった時代は、日本おけるアルピニズムの幕開けと重なります、当然のことながら、当時の登山は、それから100年以上経た現代の登山とは著しく様相を異にします。かつては、道路網がそもそも整備されておらず、現地への移動は専ら鉄道頼りでした。前泊・前々泊など当たり前だったわけです。今や、都内在住であれば、早朝自家用車を走らせ現地入りし、日帰り登山できる百名山がいくつもあります。なにより、装備(ウエア・ギア)における格段の進化が登山者の裾野を一気に拡げてくれました。携行する食料然りです。

5歳児と妻を伴って終戦直後の1946年晩秋に谷川岳を訪れた深田一家は、宿を出て薄暗い早朝に一番列車に乗り込んだといいます。山間の小駅(上越線土合駅=現在無人駅)周辺には「駅と付属の建物があるだけ、他には何もない」、「スタスタと構内の線路を伝って山へ向かうのである」と記しています。防寒具と食糧こそ充分に携えてきたと言いながら、本人は「復員のときの大きなルックに兵隊靴」、「家内はモンペに地下足袋で小ルック」、お子さんに至っては「足は普通の足袋はだし(*下駄や草履を履かないこと)である。その足袋がもうジクジクに濡れている」とあります。結局、深田久弥が途中でお子さんを背負って、一家は途中で引き返すことになります。

淡々とした叙述に見えますが、幼い息子の登山経歴一頁を飾ってやりたいという親心は空振りどころか、頗る無謀な山行だったように映ります。今回、登山道でベビーキャリーを使って2歳くらいの男の子を背負ったまま、ガシガシ進むお父さんを見かけました。小学生くらいのお子さんも結構見かけましたが、本格的な登山靴を履いていました。今なら、深田久弥は勇んで息子さんと山行を繰り返していたことでしょう。

谷川温泉に前泊して臨んだ谷川岳の初登山(1933年)は、小林秀雄と一緒だったと『日本百名山』に書かれています。「あの鼻っぱしの強い小林君が、山に関する限り実に素直で従順であった」とは、なんとも微笑ましいエピソードです。百名山に登るたびに『日本百名山』を読み返すと、時代は違えども、五感を総動員して触れる山の自然は太古の昔からそこにあって、ずっと変わらないものなのだとつくづく思わせてくれるのです。

日本百名山

日本百名山