サーロー節子さんのドキュメンタリー映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』

あと2日で75回目の終戦記念日が訪れます。75年という歳月に広島市民とりわけ被爆者の方々は格別の思いを抱くのではないでしょうか。原爆投下直後、<75年は草木も生えぬ>と言われた広島が、市民の弛まぬ努力によって信じられないような奇跡の復興を遂げ、平和を象徴する国際都市に生まれ変わったからです。

最近、WOWOWで放送された映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』(2019年・米国制作)(原題:”The Vow from Hiroshima")の終盤、上空から捉えた広島市中心部が映しだされ、街並みの美しさに見とれてしまったくらいです。サーロー節子さんは、2017年にノーベル平和賞を受賞した反核団体核兵器廃絶国際キャンペーンICAN: International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)」の一員で、授賞スピーチをなさった方なのでご存じの人も多いのではないでしょうか。

サーロー節子さんは13歳で被爆、灰と瓦礫の街と化した広島を生き抜いた少女のひとりです。後に受洗しクリスチャンとなり、海を渡って米国とカナダの大学で社会学を学びます。やがて、友人らと核兵器廃絶を訴える活動に従事し、<この目で核廃絶を見届けることが願い>なのだと実体験を語り継いで、核なき世界の実現に尽力されています。後半、ノーベル賞授賞式における彼女のスピーチが紹介されますが、唯一の被爆国日本が未だ批准していない「格兵器禁止条約」に多数の国家元首が賛意を示したのもサーロー節子さんのスピーチに心動かされたからだといいます。その簡潔で明瞭なスピーチは、まさにプレイン・イングリッシュ(plain English)のお手本だと思いました。歴史的偉業の蔭に、サーロー節子さんのしたたかな計算と卓越したコミュニケーション能力の存在があったことは疑い容れません。

被爆者であるサーロー節子さんは、占領統治が済んでまもない時期に米国留学を経験、経済的な苦労に加え言葉の壁や有色人種への差別など異国の地で暮らす不便を嫌と言うほど味わったに違いありません。そんな境遇にあったればこそ、核廃絶を訴える活動を長年継続する不撓不屈の精神が鍛えられていったのでしょう。被爆者で出産を決意することも大変な心労だったと想像しますが、健やかなふたりの男児に恵まれたことは本当に幸いでした。

保有国すべてが平然と背を向ける「格兵器禁止条約」は50カ国が批准して90日後に発効します。あと7カ国が批准すれば、サーロー節子さんの願いにまた一歩近づきます。