国民に届かないリーダーの言葉〜安倍首相の緊急事態宣言を振り返って〜

新型コロナウイルスが想像を遥かに超える規模で世界に拡散するなか、世界のリーダーたちが様々なメッセージを届けようとしています。未曾有の地球規模の危機に際して、果たしてこうした呼び掛けは市民に届いているのでしょうか。

盤石な政権基盤を背景に東京オリンピック成功に邁進していた安倍首相にとって、この度の新型コロナウイルス禍は青天の霹靂だったことでしょう。180度の進路変更を余儀なくされた首相のここ数ヶ月の心労を思うと、安易に彼を責めるのは酷な気がします。

東京オリンピック延期が決まった直後から、カタカナ文字を振りかざして、新型コロナウイルス対応を声高に叫ぶ小池都知事の変わり身の早さには呆れてモノが言えません。安倍総理に先んじてコロナ対策を先導するかのようなあざといパフォーマンスにはもうウンザリです。

それにしても、安倍総理の打つ手が一向に冴えません。布マスク2枚の配布、星野源さんの楽曲を交えた動画配信、二転三転した現金給付案等々、どう見ても場当たり的な印象が拭いきれず、残念ながら大方の民意の支持を得たとは思えません。政策発動はいかにも対症療法的で、第二次世界大戦で学んだはずの「戦力逐次投入」の愚行を重ねているのです。動画配信に至っては、文化の政治利用だと批判されるのも致し方ありません。周囲の秘書官あたりの猿知恵に多忙を極める首相が踊らされているようにも見えます。

4月7日の緊急事態宣言発出に伴う総理の記者会見は、いつもの滑舌の悪さに加え、かなり長い原稿を読み上げたせいか、一本調子で抑揚を欠いたスピーチになってしまいました。日本人のスピーチ下手は国民性かも知れませんが、有事だからこそ、ときにはユーモアさえ混じえて、国民の心に届く切れ味のいいメッセージを発して国民を勇気づけるべきでした。

スピーチの内容自体は活字で読めば真っ当なものでしたから、プレゼンに成功していたら首相の評価も改善したのかも知れません。1933年に米ルーズベルト大統領が就任演説で発した”the only thing we have to fear is fear itself”に倣い、安倍首相は後半、こう呼び掛けました。

「今、私たちが最も恐れるべきは、恐怖それ自体です。」


悪くはありません。仏マクロン大統領は「医師は我々に要求する権利がある」と述べましたが、第一次世界大戦当時の仏首相の言葉「兵士は我々に要求する権利がある」に倣ったものでした。新型コロナウイルスはもはや人類共通の敵、ウイルスを戦争に例えるのも今や常套句。だからこそ、世界のリーダに問われているのは、血の通った言葉で国民に指針を示すことです。ドイツのメルケル首相やイタリアのコンテ首相は、鮮度を失いつつある戦争比喩を排して、国民を落ち着かせるような言葉を選んで共感を呼んでいると伝えられます。

日本語には「言霊」とか「言魂」と呼ばれる言葉があるくらいですから、言葉にはスピリチュアルな力が宿ると古来から信じられてきました。政治家には平時からその武器である言葉を磨き、誠実な言動を心掛けて欲しいものです。信のおける言葉とは一朝一夕で身につくものではないのですから。