安倍晋三元首相凶弾に斃れる (前篇) 〜晩節を汚す勿れ〜

2022年7月8日、憲政史上最も長く首相を務めた安倍晋三元首相が凶弾に斃れました。どれほど有能な政治家であったとしても、宰相の座に居座れば居座るほど、晩節を汚すことなく身を引くことは難しくなります。企業のトップや地方自治体のトップにもそのまま当て嵌まることです。よしんばトップの座から身を引いたとしても、院政を敷いて、暗然たる権力を振るわんとする者が後を絶ちません。キングメーカーとして長く政界に君臨した竹下登はその典型です。67歳で永眠された安倍元首相は最大派閥・清和会会長でもありました。今回の参議院選において、安倍元首相は全国を回って精力的に自民党候補者の街頭応援演説をしていました。元総理の威光に縋ろうとする候補者が大勢いたことは想像に難くありません。一方で、安倍元首相は令和のキングメーカーたらんとしていたのでしょうか。

米国では大統領の三選は禁じられています(米国憲法修正第22条)。初代大統領ジョージ・ワシントンが3期目への立候補を辞退した後、多くの米国人は、いかなる大統領も任期は2期で十分だと考えたそうです。日本でも、同様に、首相のみならず地方自治首長選挙においても通算任期に縛りを設けるべきだと思っています。

絶対的権力は必ず腐敗します、そして、国家が権力者らによって私物化される危険性を常に孕みます。ウクライナ侵攻を続けるプーチン大統領がその悪しきお手本です。うやむやにされた森友・加計問題も含め、安倍長期政権の功罪は必ず歴史が詳らかにしてくれるでしょう。故・中曽根康弘元首相の著書に『自省録ー歴史法廷の被告としてー』(新潮文庫)があります。首相たる者、歴史法廷の被告となる覚悟を持って国の舵取りに臨んで欲しいものです。

〈一切の行蔵寒にある思ひ〉(高浜虚子)

権力者たちの晩年を見るにつけ、花鳥諷詠を得意とした高浜虚子の異色の俳句を思い出します。行蔵とは出処進退のこと。現職総理大臣岸田文雄が施政方針演説で引用した勝海舟の言葉「行蔵は我に存す」が話題になりました。有言実行ありきで願いたいものです。