先月下旬放映されたテレビ東京開局55周年特別企画のスペシャルドラマ「 アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」をタイムシフトで視聴しました。鶴瓶師匠が吉田茂に扮するとあって初めは少々驚きましたが、見慣れてくると、風貌が似ていなくもないと思うようになりました。公職追放で人材払底するなか、閣僚に官公庁から有為な人材を招聘するあたり、前半はテンポよく楽しめました。興醒めだったのは、GHQ職員と英語で遣り取りする場面が殆ど日本語だったので、分かりやすい反面、臨場感に欠ける点でした。
番組後半、終戦から6年後の1951(昭和26)年9月8日に所謂サンフランシスコ平和条約が締結されるまでの経緯が詳らかにされます。ソ連も中共も嫌いな吉田茂は対戦国(51カ国もあったのです!)との全面講和など到底不可能と考え、西側陣営とだけでも早く講和に漕ぎ着けたい考えていました。一方、当時の学者たちは全面講和を訴える声明を出します。吉田首相はさぞ苦々しく思ったことでしょう。腹立ち紛れに声明に参加していない南原東大総長に対して曲学阿世の輩と非難します。一部講和反対派の動きを封じ込めるべく、吉田首相は密かに池田勇人蔵相を渡米させ、多数講和への地ならしを行っていたのです。
吉田首相の賢かったのは、朝鮮戦争が勃発し日本を陣営に引き入れたいトルーマン大統領(実際の交渉相手は反共主義者のダレス)に米軍の日本駐留を願い出た点です。GHQ内部でも、改革から復興へと風向きが変わるなか、対立(GS(民政局)vs 参謀部(G2))が顕著になっていきます。当時の世界の政治情勢を分析して巧みに利用したというわけです。吉田茂は空気を読むのに長けた稀有の政治家と言っていいでしょう。見事な外交手腕です。再軍備を米側から求められながら、のらりくらりと懐柔し、弥縫策として国防軍の発足を示唆して講和への道筋をつけてしまいます。
ドラマのハイライトは、鶴瓶演じる吉田首相が48カ国(ソ連・チェコ・ポーランドを除く)と平和条約を締結した後、その足で米国との二国間条約「日米安保条約」に調印します。同行した全権大使を臨席させず、列席した全権随員の池田勇人らに署名させませんでした。帰国後の国民の猛反発を一身で引き受ける覚悟だったと言われます。wikiには次のようなエピソードが紹介されています。
<安保条約の署名のさい、主席全権委員であった吉田茂首相は独りで署名に臨んだ。講和会議の舞台となった華やかなオペラハウスとは対照的な、プレシディオ国立公園の下士官用クラブハウスの一室で行われたこの調印式には、他の全権委員は欠席しており、唯一同行した池田勇人蔵相に対しても「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」と言って一人で署名したという。>
戦後最も祝福すべき講和条約の調印の陰でひっそり旧安保条約が調印されたという史実と吉田茂の数々の功績にスポットライトを当てた本スペシャルドラマは、戦争を知らない世代にこそ見て欲しいものです。戦後史に関心のある方には半藤一利さんの『昭和史 戦後篇』(平凡社)をお勧めします。無条件降伏からわずか6年で日本を占領統治から解放せしめた吉田首相の外交センスと胆力を今の政治家に求めることは<ないものねだり>というものです。政権政党の国会議員のスケールが年々矮小化するなか、戦後復興の時代が眩しく見えてなりません。
- 作者:半藤 一利
- 発売日: 2006/04/11
- メディア: 単行本