2018年12月に吉祥寺パルコ地下2階にオープンした映画館、「アップリンク吉祥寺」で、先週末初めて映画鑑賞しました。吉祥寺の駅前周辺は商業ビルが林立し、郊外型シネコンが進出する可能性はゼロ。東口のオデオン座こそ健在ですが、2014年には吉祥寺バウスシアターが閉館。地元映画ファンの危機感が募ってきた時期のミニシアターコンプレックス「アップリンク吉祥寺」オープンは吉報でした。都内でも本作の上映館は岩波ホールなど限られているだけに、話題のドキュメンタリー映画が徒歩圏の新設映画館で鑑賞できると知り、シアターに足を運びました。スクリーン1(68席)で9:30から1日1本の上映だけです。パルコは10:00の開館ですから、東側のエレベーターへ通じるエントランスから入場します。
朝日新聞GLOBE(2019-5-26)のヘッドラインがこの映画の要諦を「トランプ氏が反対するもの全てがここに」と簡潔に表現しています。フレデリック・ワイズマン監督(89)は、「トランプ大統領が異議を唱えるすべてを体現する映画」と語っています。映画完成2日後にトランプ大統領が就任することになるとは、皮肉なものです。
映画は途中で10分の休憩を挟む3時間半に及ぶ長尺。舞台は劇場空間とは対照的な図書館「ニューヨーク公共図書館(NYPL)」であるにもかかわらず、退屈する時間帯は皆無です。この映画を観終わると、図書館の役割が本の貸出だという常識的理解は完膚なきまでに粉砕されること請け合いです。
冒頭に登場する英国の進化生物学者リチャード・ドーキンスは、キリスト教原理主義者を手厳しく批判し、20%に迫る無宗教派市民の存在にフォーカスします。映画はこうしていきなり信仰の問題に切り込みます。やがて、ダーウィンやアインシュタインに言及し、彼らより後に生まれた我々は、叡智の恩恵に浴した(priviledged)ことにこの上ない幸せを感じるべきだと主張し、サイエンスの到達点に詩的真実すら感じると訴えかけます。この映画にふさわしいイントロダクションでした。本作では、こうしたインタヴュー・イベントやライブが数多く紹介されます。登壇者も作家や詩人から舞台芸術家や陶芸家に及び、多士済々です。なかでも、心に突き刺さったのは求職者向けセミナーでした。求職者の強みを引き出そうとパワフルなプレゼンをする講師には、求職者ならずとも鼓舞されてしまいます。これほど多彩なイベント企画の内容を知らされると、NYPLにライブラリーという名称はもはや不似合いです。
図書館の設計を依頼されたオランダ・デルフト出身の女性建築家は、周囲から、図書館に未来はないと囁かれます。しかし、彼女は図書館が単なる本の置き場や墓場ではなく、常に進化する存在であると確信し、図書館の存在意義を疑問視する連中に抗い、図書館の本質的価値は人にあるのだと断言します。来館者の要望に対するNYPLの司書たちのきめ細やかでプロフェッショナルな対応に、観客は舌を巻くこと必至です。
NYPLは、3つの公共図書館に加え、4つの研究図書館と88の地域分館を併設しています。本館の竣工は1911年。アンドリュー・カーネギーの寄付によって着実に規模拡大を遂げてきた歴史があります。血管のように都市の隅々に張り巡らされた知のネットワークは、人々の日常生活とシンクロして確固たる存在意義を発揮しています。ションバーグ黒人文化研究センターはその典型です。分館はNeighborhood Libraryと呼ばれます。カメラは次々と分館の活動を活写していきます。カメラが切り替わる都度、インターバルに流れる雑踏が生み出す様々な音が強く印象に残りました。あえてテロップやナレーションを排した構成が成功しています。
NYPLの年間予算は3億7千万ドル、半分は民間寄付によるものです。職員数は3000人を超えると言われるNYPLは、世界一の図書館でまさしく知の殿堂です。図書館は万人に開かれた存在。 何より、黒人を中心とする有色人種、市民の10%強に達する障害者、LGBT、ホームレスを含む貧困層....マイノリティや社会的弱者にこそ、最も頼りとされ必要とされる存在でなければならないというメッセージがひしひと伝わってきました。全世帯の1/3がネットに繋がらない深刻なデジタルデバイドの状況を改善しようと、NYPLはいち早く対策を講じ始めます。NYPLの確かな未来を見据えた幹部らの白熱した舞台裏の討議も、見どころのひとつです。真実は時として耳障りなだけに為政者は耳を塞ぎがちです。それ故、政治から一定の距離を保ち、常に民主主義の牙城であろうとするNYPLに自国第一主義に傾く米国の本来の良心が息づいていてホッとさせられます。
エンドロールで チェンバロ独奏によるJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」が流れます。この絶妙な曲目(しかも自分が大好きな曲!)の選択に思わず感極まって声を出しそうになりました。この映画、図書館の多目的ホールでこそ上映して欲しいものです。