シネマレビュー「エベレスト3D」(2015年11月日本公開)

映画館で見損ねたことを大いに後悔しています。封切りから3年余、この映画を数日前に鑑賞したところです。キャスト陣と制作スタッフが過酷な環境のロケ地に身を置いて制作したからでしょう、渾身の一作に仕上がっています。ジョン・クラカワーの『空へ』(1997年10月)を出版直後に買って幾度も読み返していたので、映画のあらすじは概ね理解しているつもりでしたが、BC以降は貧しい読者の想像力をはるかに超える峻烈極まりない映像の連続でした。

映画の原題は”EVEREST”、邦題に3Dなんてオマケがついているので、美しい山岳ドキュメンタリーフィルムと勘違いして劇場に足を運んだ人もいるのかも知れません。そんなに配給会社は3Dメガネで鑑賞して欲しいのでしょうか、タイトルの訳出は明らかに蛇足です。

f:id:uribo0606:20190110224342p:plain

本作は、1996年5月にエベレストで実際に起きた大量遭難事故の実際をほぼ忠実に再現したものです。ロブ・ホール率いるアドベンチャー・コンサルタンツ遠征隊(以下:AC)は商業登山の先駆け的存在。ACは1992年頃から世界中から登山客を募って、高額のガイド報酬と引き換えに世界最高峰エベレストへの登頂を保証するというビジネスを開始します。創業以来、19人の顧客をエベレスト登頂に導いています。ただ、顧客と言ってもエベレストに挑むくらいですから、世界の名峰を股にかけてきたツワモノ揃い。ACの顧客8人のなかには難波康子さんという小柄な日本人女性も含まれていますが、彼女も例外ではありません。今回のエベレスト登頂が成功すればセブン・サミッツ制覇という偉業を達成することになるのですから。

映画はロブの出身地ニュージーランドで仲間と慌ただしく遠征の準備を始めるシーンから始まります。1シーズンに20の遠征隊がエベレストを目指すという異常事態に、ロブは固定ロープの奪い合いになるだろうと早くも現地の混乱を危惧。ネパールのカトマンズ市内のホテル(ガルーダホテル)に集合した登山客はそれぞれ冗談を交えながら自己紹介して、エベレストに挑む理由を披露していきます。ロブは静かに顧客の話に耳を傾けながら、「エベレストは猛獣だ!下山するまでが登山料金に含まれている。これからアタックまでの40日間、肉体と精神を鍛える!」と不退転の決意を表明します。

カラフルなタルチョ(五色旗)やヤクの隊列はチベット文化圏の象徴。タンボチェ僧院、登山者の慰霊碑を経由して向かうことになる標高5364mBC地点までの入山道程が丁寧に美しい映像として切り取られています。まるで自分が現地に乗り込んでいくような錯覚に囚われます。到着したBCはさながら国連総会、南アや台湾からの遠征隊も集結しています。ロブは米マウンテン・マッドネス遠征隊を率いる旧知のスコット・フィッシャーと出喰わします。この二人は遠征隊相互の登頂スケジュールの調整がつかないので、同業ライバルでありながら、少しでも渋滞を緩和しようと後日混成隊を編成して山頂を目指すことになります。

エベレスト登頂を控えて各登山隊にリラックスしたムードが漂うなか、ロブは険しい表情を崩しません。高地馴化を終えて、BC2〜BC4へと歩を進めるなか、ルート工作が不十分だったりベック・ウエザーズが視力障害で途中脱落したりと、ロブは限られた時間を加速度的に奪われていきます。やがて命綱の酸素ボンベも底をつき、高所性肺水腫や脳水腫、低体温症、凍傷など致命的障害をもたら危険が現実のものとなるのです。

結果、14時までに全員下山開始という安全確保のための最低限の下山ルールは遵守されませんでした。6万5千ドルという対価を払ってエベレストまでやって来た顧客に対して、なかには過去幾度かエベレスト登頂を目前にして断念した者がいたりして、隊長兼筆頭ガイドも「タイムアップだ!今すぐ下山しろ」と強くNOと言えない空気が支配的でした。ある顧客はアイスフォールに架けられたハシゴを前にして長時間待たされることに我慢ならず、こんな渋滞にお金を払ったつもりはないと激怒します。ヒラリーステップの渋滞も尋常ではありませんでした。酸素が地上の1/3しかない高所で強風に身を晒しながら待つ時間は、体力と酸素を根こそぎ奪っていくのです。

こうした状況下、難波さんも含め一部の顧客はかろうじて登頂こそ果たしたものの、天候は急変、ブリザードが下山途上のAC隊をはじめ各隊を襲い、8人が死亡、その前後も含めるとシーズン中に12人が亡くなるという最悪の事態となりました。<生きて生還してこそ成功>とロブがホテルで誓った約束は無惨にも反古にされ、懸命に顧客の命を守ろうと奮闘したロブもスコットも還らぬ人になってしまいました。実際、ロブはメールマンの稼ぎでエベレストに再チャレンジしたダグをルールを犯してまで登頂させ二人三脚で下山をヘルプした結果、落命したのです。BCマネージャーのヘレンは涙しながら無線電話と衛星電話を繋いで、瀕死のロブと妻ジャンに最後の会話を促します。山稜に息絶え絶えで横たわるロブは乾いた口を雪で湿らせながら、クライストチャーチに住む妻ジャンに「愛している、心配するな」と呼び掛け、それが最後の言葉になってしまいました。ロブはダグの転落死に深い自責の念を感じ、覚悟の死を選んだようにも思えました。

死者として放置されたベックが奇跡の生還を果たし、危険極まりないヘリコプターの救出劇が実現したのが僅かな救いでした。

生殺与奪の決定権は常に山が握って離さない、そんな当たり前の大自然の掟の下ではどんな熟達の登山家も無力で頼りなくちっぽけな存在に過ぎません。世界最高峰の頂きで直面する極限状況においては、どんな優秀な山岳ガイドも他者の命を救うことは出来ないのだとこれでもかと思い知らされた映画でした。だからと言って、エベレスト登頂という登山家の夢を叶えようと奔走するAC隊をはじめとする商業登山ビジネスを全否定する気にはなれません。ロブをはじめガイドの技量や経験値が足りていなかったとも思いません。エベレストという山が存在する以上、これからも頂きを目指す者は絶えることはないでしょう。むしろ、撤退する勇気、ポイント・オブ・ノーリターンはどこにあったのか、どうしたらエベレストを攻略できるのかを深く考える契機を与えてくれます。山岳映画の白眉と言って過言ではありません。

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか