14サミッター竹内洋岳さんの『下山の哲学』(太郎次郎社)を読む

2012年に日本人として初めて8000m級14座完全登頂を果たした竹内洋岳(ひろたか)さんは、翌2013年に植村直己冒険賞を受賞した日本を代表するアルピニストのひとりです。『下山の哲学』というタイトルに惹かれて、本書に手を伸ばしました。1984年にマッキンリー(デナリ)で消息を絶った植村直己さんは、数々の名言を残されています。なかでも、<冒険とは、死を覚悟して、生きて帰ることである>という言葉が脳裏に焼きついています。冒険を登山に置き換えれば、下山して初めてミッションコンプリートなのです。然るに、華々しい登頂記こそ多けれど、下山のプロセスを克明に描いた本は殆どありません。

下山記録が少ないのは、登頂後一刻も早く下山しなければ命の危険に晒されるのでその余裕がないからだと竹内さんは言います。体力が残っているうちにBCにたどり着けなければジ・エンドというわけです。<重力にまかせてズンズン降りていく>という竹内さんの言葉にすべてが集約されている気がします。山では止まったら絶対に降りられないからです。アルパインスタイルの場合、予定が延びても数日、食糧が尽きてもひたすら歩くしかありません。

本書のサブタイトルは<登るために下る>。1995年のマカルー(8463m)を皮切りに2012年のダウラギリ(8167m)まで、14座を完登するためには無傷で下山しなくてはなりません。特に凍傷は禁物です。一度凍傷で指を落とすと、ほかの指も凍傷になりやすいのだそうです。ところが、2007年、竹内さんはガッシャーブルムII嶺(8035m)で雪崩に呑み込まれ300m転落。片肺が潰れ、背骨や肋骨が5本も折れる重傷を負いながら、奇跡的に命を繋ぎ止めます。帰国までの経過を知ると、山の神の御加護としか思えません。

登山にはリタイアがありません。登頂したら必ず自力で下山するしかないのです。マラソンなら、途中で走ることをやめてしまえば、苦痛から逃れることができます。しかし、登山は下ってきて初めて完結するのです。そんな当たり前の大原則を14サミッターが身を挺して教えてくれました。

厳しい試練の連続に身を投じながら、竹内さんは4座目のナンガパルバット(8126m)を「楽しんで下ったはじめての山」だったと述べています。竹内さんにとっては心安らぐ稀有の刹那だったのでしょう。「一歩一歩、惜しみながら下ります」と表現されています。アマチュア登山者のひとりとして、よほどのアクシデントに見舞われないかぎり、一歩一歩、惜しみながら下山したいものです。

下山の哲学──登るために下る

下山の哲学──登るために下る

  • 作者:竹内 洋岳
  • 発売日: 2020/10/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)