劇場公開中に見逃した「ハクソー・リッジ」をブルーレイで鑑賞。1998年公開の「プライベート・ライアン」の系譜に連なる戦争映画の名作が、またしても米国で生まれたことに複雑な感懐を覚えました。米国映画界が太平洋戦争やベトナム戦争を風化させまいと弛まぬ努力を重ねているのに対し、邦画はどうしても見劣りします。太平洋戦争において米軍が日本軍に勝利した理由を圧倒的な兵力の差に求めるのは当然として、もうひとつ見逃してならないのは、米軍が最前線で戦った兵士の「命」を決してそまつに扱わなかった点にあると思っています。
真珠湾攻撃で火ぶたが切られた太平洋戦争の初期、大活躍したゼロ戦の操縦席にはパイロットの命を守る装甲がありませんでした。日本海軍では艦長が沈没艦と運命を共にすることが不文律とされていました。パイロットや艦長の養成にどれほどのコスト(時間と費用)を要したかを考えれば、提督から一兵卒の命までそまつにしていい理由はありません。
「ハクソー・リッジ」は、熾烈を極めた沖縄戦における要害の地<前田高地>に米軍がつけた名前(弓鋸)です。それは150mの断崖絶壁で米軍にとって朱里攻略のために攻略不可避の陣地でした。米軍は昭和20年4月29日から30日にかけて大損害を被った第96師団から第77師団へ部隊編成を変更して、<前田高地>の奪還を狙います。
主人公は衛生兵(combat medic)のデズモンド・ドス。映画の前半は生い立ちから志願して軍事訓練を受けるまでを描きます。宗教上の理由から、ドスは武器を手にすることを断固拒否します。兵営の仲間からはいじめを受け、上官からは規律違反を理由に除隊を迫られます。除隊を拒否したドスは軍法会議にかけられます。ドスが窮地に立たされる軍法会議が前半の見所です。本来その場にいられないはずの退役軍人の父が現れ、かつての上官であった准将からの手紙を差し出します。
軍法会議への提訴が取り下げられ除隊を免れたドスは激戦地沖縄へ。29日から戦闘に加わります。『失敗の本質』(中公文庫)によれば、日本軍8万6千名に対し米軍23万余、圧倒的な兵力で臨んだ米軍相手に日本軍は長期持久戦に持込み86日間も善戦しました。その間、10万人を超える沖縄住民が戦死しています。映画後半は前田高地をめぐる日米両軍の凄まじい戦闘シーンの連続です。CGではないリアルな映像だそうです。この映像を見ながら日本兵よくぞ戦ったと少ししんみりしてしまいました。
米歩兵部隊は縄梯子をかけて断崖絶壁を登攀するしかありません。米軍は艦砲射撃を加え歩兵の登攀を支援しますが、白煙で視界を遮られた歩兵はトーチカに隠れた日本兵から猛反撃を喰らいます。やむなく一時撤退、部下からの信頼厚き上官グローヴァー大尉さえ負傷。ドスは「お願いです、もうひとり」と呟きながら、日没後も敵だらけの戦場で救出した負傷兵を独力でロープで結わえ、次々と自陣へ降下させていきます。訓練で習得したもやい結びという技を使います。ドスを兵士失格だと罵ったグローヴァー大尉の命を救ったのもドスでした。
映画冒頭で"A TRUE STORY"とあるようにまぎれもない実話です。信仰や人種を問わず誰しも平等に扱うという原理原則が軍隊で遵守されるようになったのはトルーマン大統領の命令が下されてからだと云われます。ドスは自ら志願したので厳密にいえば良心的兵役拒否者には当たりません。ただ武器を取って戦闘に加わったわけではないので自身を「良心的協力者」と呼んで従軍したわけです。
5月21日にドスは戦場を去り、10月12日に名誉勲章を授与されています。臆病者の烙印を押されたドスは、非武装を貫き誰よりも勇敢に戦って75人もの命を救ったのです。「お前の信念は本物だった」という上官の言葉は最高の賛辞でした。映画化の話が幾度もありながら死ぬ直前まで辞退していたデズモンド・ドス、その名は歴史に深く刻まれました。