平成30年間の体験的回顧、そして「希望の轍」へ

晦日の昨日は雲ひとつない快晴。一昨日は午前中ジムで汗を流し、その足でTSUTAYAでブルーレイを借りて、さらに本屋で買い物。帰宅して新年に歳神様を気持ちよくお迎えすべく玄関アプローチの落ち葉拾い。いよいよ、年の瀬らしくなってきました。

早起きして新聞に目を通せば、平成30年間の回顧記事ばかり。振り返りたくなる気持ちも分からなくはありません。転職して中部地方から東京へ居を移したのは1987年、2年後に昭和天皇崩御され平成の御世に。振り返れば、我が東京暮らしは平成の時代とぴったり重なります。その平成という元号や時代がどこかしっくりこないうちに、来年4月30日には平成の御世も終わりを迎えます。思えば、あっという間の30年でした。

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長年、家族の暮らしを支えてきたマイジョブは金融でした。都銀から外銀へ、やがて主戦場は投資銀行へと移り変わりました。平成元年1月9日の日本の株式市場における時価総額No1はNTT(29.3兆円)、トップ10に銀行6行と総合証券1社が名を連ねていました。東日本大震災で未曾有の原発事故を防げなかった東電の時価総額も9.6兆円で堂々の4位。それがどうでしょう、平成30年12月28日の時価総額トップ10ランキングを見ると、金融界では5位に三菱UFG(7.4兆円)がランクインするのみ。しかも、その時価総額は、以降の複数行吸収合併を考慮に入れれば、30年前の半分を遥かに下回る水準で低迷しています。今や、銀行は衰退産業、メガバンクでさえいずれさらなる合併を余儀なくされるでしょう。地方銀行に至っては大半が存在意義を問われるほどの窮地に陥っています。理由は明快です。ネット社会に移行して、情報の非対称性が崩れて、銀行や証券会社の利用者が金融大資本に頼らなくても、ネット銀行やネット証券で用が足りるようになったからです。自分は銀行店舗に出向くことが殆どなくなりました。

一方、アップルが送り出したiPhoneGoogle検索に代表されるように、IT業界では革命的なイノベーションが一気に進みました。公共交通機関においてスマホを触っている人ばかりが目立つようになったことが、平成という時代がもたらした最大の恵みであり、同時に、災禍なのかも知れません・・・・。金融に限らず旧態依然の産業はいずれ駆逐されるか大規模な業界再編を余儀なくされるでしょう。オールドエコノミーの窮状は変化に柔軟に対応できなかった恐竜が絶滅した姿と重なります。世がバブルに浮かれていた80年代後半、邦銀の凋落を横目に外資系金融に転身した自分自身の判断は正解でしたが、結局、自己制御出来ず暴走した米国金融危機リーマンショックでグローバル金融も忽ち失速、金融の時代は終焉を迎えてしまいました。この30年間、極く一部の例外を除いて、イノベーションと無縁な業界の代表格は銀行でした。生保や損保も同様です。

IT業界が牽引した劇的変化は、ルネサンス期の三大発明(羅針盤・火薬・活版印刷術)に匹敵する影響をもたらしたことは疑いなく、後世の歴史家が相応の紙幅を割いて記述することになるでしょう。歴史の教科書にも大見出しで取り上げられるに違いありません。

そんな適者生存・淘汰の時代をなんとか生き延びられたこと、そして、生まれてこの方、飢餓に苦しむことも戦禍に巻き込まれることもなく家族と共に過ごせたことは奇跡的な幸運としか言いようがありません。一方、自国第一主義が跋扈するこの時代に、人種や性別を超えて、他者の痛みを共有できる社会の実現はますます困難になってきています。豊かさや便利さと引き換えに、喪ってしまった大切な記憶や経験を取り戻すための回路は細っていくばかりです。革命的なイノベーションに日々翻弄されて、自身の羅針盤にも狂いが生じ始めているように感じています。信念やこうしたいという確固たる意志を再確認して、次の時代、進むべきnarrow pathを模索したいと思っています。平成30年最後を紅白を飾るのはサザンの「希望の轍」、狭く険しい道も夢を乗せて走る車道であって欲しい!