佳作映画評「コレクター 暴かれたナチスの真実」

当ブログで以前とり挙げたとおり、近年、ナチスヒトラーをテーマにした映画が次々と制作されています。第二次世界大戦を経験した人々が年々減少し、大戦中の記憶は総じて風化しつつあります。こうした記録映画の制作は、後世に悲惨な戦争の記憶をキチンと継承していく上で大変有意義な営みだと思っています。

2015年に制作されたデンマークとドイツの合作「ヒトラーの忘れもの("Under Sandet")」は、第二次大戦後にデンマークで地雷除去に携わった若年ドイツ兵を描いて、日本でも話題になりました。翌2016年にドイツで制作された「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男("Der Staat gegen Friz Bauer")」は、ナチスの最重要戦犯のひとりアドルフ・アイヒマンの逮捕に執念を燃やしたドイツ人検事フリッツ・バウアーを描いたものです。

2016年にオランダで制作された本作(原題"De Zaak Menten")も、戦争責任の追及を逃れようと深く潜行するアイヒマンの映画と同じ系譜に属するものです。主人公のオランダ人記者ハンス・クノープは、一本のタレコミ電話をきっかけに、第二次大戦中にナチス戦犯ピーター・メンテンが犯した大量虐殺の責任追及にのめり込んでいきます。彼自身にもユダヤ人の血が流れており、看過することは出来ませんでした。

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メンテンは大富豪で所有する美術品コレクションの一部をオークションにかけようとしますが、電話の相手は、それらはユダヤ人から略奪したものだと主張します。クノープはメンテンのプール付き大邸宅を訪れて事情を取材しますが、戦争犯罪に関わる取材だと知ったメンテンはあの手この手で記者の懐柔を試みます。ところが、クノープが一向に意に沿わないと分かると、温厚で紳士然としたメンテンの表情は俄かに険しくなり、様々な妨害工作や偽証を繰り返すようになります。

オランダの検察当局も大富豪で名士として知られるメンテンの訴追に当初は及び腰で、クノープがソ連や虐殺現場にまで赴き苦労して収集した有力な証拠が明るみに出て、初めて重い腰を上げます。映画はメンテンがソ連の侵略後ナチスに加担し虐殺に手を染めていく映像と70年代の法廷闘争の場面をシンクロさせながら進んでいきます。やがて、メンテンは逮捕が迫ることを嗅ぎつけスイスに逃亡、身柄拘束さえ一筋縄ではいきませんでした。

ようやく身柄拘束されたメンテンは一審で15年の禁固刑に処せられますが、即座に控訴。クノープは控訴審で信頼していた取材パートナーのカメラマンに取材はヤラセだったと反論され、所属する雑誌社の同僚からは遣り過ぎを非難されて次第に居場所を失っていきます。メンテンの買収工作が奏功した格好です。とうとう、クノープは編集長にまで登りつめた雑誌社を退社することを決意、メディアコンサルタントとしてメンテンの有罪固めに奔走しますが、控訴審ではメンテンがあろうことか逆転無罪になってしまいます。

万事休すと思われた最終審で、兄メンテンからこの世を去ったとされていた弟が、仏カンヌからわざわざ来廷し証人として登壇。1943年、パリで兄メンテンが弟に告白した虐殺の詳細が明らかにされ、10年の禁固刑を宣告されます。兄から将来罪をなすりつけようとされることを恐れた弟が公証人役場で公証記録を残していたことが決定的な証拠になったようです。今さら死者は還らないと表舞台に出ることを渋るメンテンの弟を粘り強く説得したのは、他ならぬクノープでした。メンテンは刑期の2/3を過ぎたところで釈放され、介護施設で妻に看取られこの世を去ります。晩年は認知症を患っていたそうです。

実話に基づく作品でありながら、1000人以上が虐殺の対象となったというメンテンが犯した大量虐殺事件(本作は2つの村の事件だけにフォーカス)は日本ではあまり知られていません。虐殺された人々には、ユダヤ人だけではなくメンテンの友人知己や少女も含まれており、単にナチスの人種隔離政策に加担しただけではなく、虐殺自体は猟奇的な側面も強く私怨や私欲がない混ぜになった所業でした。刑期も信じられないほど軽い10年の禁固刑、戦後30年も経たないうちにオランダ検察も司法当局も戦争犯罪を蒸し返すことに及び腰になり、事なかれ主義に陥っていたのでしょう。在野のジャーナリストになったクノープの執拗なまでの責任追及がなければ、死者を弔うことは叶いませんでした。クノープはキャリアを失ったことを決して後悔せず、生まれ変わってもshall choose exactly the same pathと言い切ります。放置すれば見過ごされてしまう権力者の犯罪や不正の真相を粘り強く探求する在野のジャーナリストの存在は、権力を監視し牽制する意味で欠くべからざるものだと改めて思い知らされた映画でした。安倍政権の保守系メディアの重用やトランプ政権のフェイクニュース発言は、健全なメディアを排斥しかねない暴挙であって、権力の暴走を放任することに繋がります。こうした映画が少しでも世に知られるよう、発信を続けていきたいと思っています。