追悼:小林麻央さん、そしてこれからの海老蔵さんと勸玄君

23日の朝、市川海老蔵さんがブログにつづった「人生で一番泣いた日です」というメッセージをネットで見つけて愕然となりました。麻央さんが自身の乳がん告知を公表したのは昨年6月9日、爾来、彼女のことは勿論、歌舞伎座で舞台を務める海老蔵さんの演技を虚心に受け止めることが出来なくなりました。気がつくと麻央さんの病気のことがまるで陥穽のように頭を掠めるようになったからです。


医師の勧めに従って病気の蔭に隠れないようにと、ブログを開設して病状や家族のことを頻繁に発信し続けた麻央さんの勇気に感動さえ覚えます。2015年11月12日、息子勸玄君の初お目見えの雄姿を客席から微笑ましく眺めていたとき、麻央さんが病魔に侵されていたとは想像だにしませんでした。後日、テレビで見た楽屋で初日を終えたばかりの勸玄君を出迎える麻央さんの柔和な表情は今も記憶に焼きついています。麻央さんの気丈な裏方ぶりを映像で見るにつけ、乳がんの方が後ずさりするに違いないと思うようになりました。

ブログに遺されたのは珠玉の言葉の数々でした。<人生はどう転んだかどうかが重要ではない、どうやって立ち上がったかが重要だ>と自分を鼓舞するような言葉には魂が宿っているようです。

2016年10月3日14時54分06秒にアップされた「心の声」は、麻央さんのKOKOKOからの叫びだったに違いありません。一部を引用します。

私はステージ4だって
治したいです!!!

遠慮している暇なんて
ありません!!

だって、
先生にも
私は、奇跡を起こしたい患者なんだって
思っていてもらいたいです。

だから、
堂々と叫びます!

5年後も
10年後も生きたいのだーっ
あわよくば30年!
いや、40年!
50年は求めませんから。

だって
この世界に 生きてるって
本当に素晴らしいと、感じるから。

麻央さんが生きて生きて生き抜いてその眼で見たかったのは、息子勸玄君の初舞台、そして数年後にも訪れる海老蔵さんの第13代團十郎の襲名披露だったに違いありません。勸玄君の海老蔵の襲名披露も同じ舞台で行なわれる可能性もあります。歌舞伎の世界で血脈を繋ぐことの難しさを知るだけに、やがて14代目團十郎になる勸玄君という世継ぎを残すだけで麻央さんは梨園の妻として立派な仕事をやり遂げたのだと思います。麻央さんが海老蔵さんと共に背負った400年の歌舞伎の伝統を、海老蔵さんと勸玄君がこれからふたりで担いでいくわけです。

石川五右衛門外伝」千穐楽を前に、舞台袖で海老蔵さん演ずる石川五右衛門を静かに見守る勸玄君の孤独な姿に涙がこぼれそうになりました。その厳しい表情から役者としての覚悟を感じ取りました。大好きなお母さんはもうそばにはいません。7月歌舞伎座での出演が決まった勸玄君にはこれから厳しい稽古が待っています。史上最年少で挑む宙乗りで白狐役を務めるからです。7月3日初日の舞台は海老蔵さんが麻央さんにプレゼントしたかった息子の晴れ舞台、あと10日命が繋がっていればと悔やまれてなりません。

17日に歌舞伎座を訪れ、観客席から一ファンとして海老蔵父子の熱演を応援したいと思っています。そして、これからもずっと。