「並河靖之七宝展」@東京都庭園美術館

先週末、都内でも屈指の高級住宅街、港区白金台にある東京都庭園美術館で開催中の「並河靖之七宝展」(1/14〜4/9)を鑑賞してきました。博物館や美術館が軒を連ねる賑やかな上野の杜と違って、庭園美術館は建物全体が隣接する自然教育園の豊かな自然と同化しているので、お気に入りの鑑賞スポットの一つです。

本展は、明治期の七宝工芸の第一人者並河靖之(1845〜1927)の没後90年を記念する大規模な回顧展で、初期の作品から晩年のものまで一堂に会するのはこれが初めてだということです。5年がかりで実現したと聞きます。京都を度々訪れながら、休館日に当たったりして並河靖之七宝記念館とは縁がなかっただけに、東京で初の回顧展が鑑賞できるとは思いも寄りませんでした。

というのも、超絶技巧を凝らした並河靖之の有線七宝は外貨獲得を狙って、その多くが海外へ流出したため、国内に留まった作品は極わずかだからです。先の並河靖之記念館でさえ所蔵しているのは143点に過ぎません。ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵の作品が数多く展示されていたのもその証左です。その一方で、海外に散逸した作品を精力的に買戻した清水三年坂美術館のような存在が、本展に貢献したことも見逃せません。


いずれも優品揃い、なかでも目を瞠ったのは「四季花鳥図花瓶」(明治32年作)でした。御下命に基づいて制作され1900年のパリ万国博覧会に出品されたという最高傑作です。均斉のとれた大ぶりの花瓶に研ぎ澄まされた透明な黒い釉薬が施されています。中心部には山桜と紅葉があしらわれ、梢を野鳥が飛び交い、底部から野草が立ち上がるという見事な構図です。思わずため息がでるような美しさです。アート・スコープで何度も覗き込んでみましたが、まるで絵筆で描いたような繊細さです。絶妙なバランスで配された黒の余白が、鮮やかなピンクと緑のコントラストを際立たせます。黒地を背景に紫と白の藤を細長い花瓶の曲線に沿うように垂らした「藤草花文花瓶」(明治後期の作)も、背景の余白と色彩のコントラストが絶妙です。

これほど繊細で優美な有線七宝はどのような工程を経て生み出されるのでしょうか、2013年にオープンした新館において上映されるビデオで確認することができます。金属の素地の上に、細いテープ状の銀線を下絵の輪郭に沿って貼りつけていき、出来た区切りの中に釉薬を乗せて焼成をするというのが基本的な工程です。並河靖之の作品が職人芸の極みと言われる所以は、銀線の高さと釉薬のグラデーションにあります。わずか0.5センチ程度の高さしかない仕切り線のなかに釉薬を垂らしこんでいくわけですが、色彩に変化をつけるため幾重にも調合された釉薬が用いられるといいます。微細な線と線との間に釉薬をさして、焼成と研磨が繰り返されます。気の遠くなるような工程の一切に妥協を許さない並河靖之は、海外からの大量の注文に対して「質が落ちるから」と断りを入れたといいます。

大正に入ると輸出量が激減し、七宝全体が大打撃を受け並河工房も閉鎖の憂き目をみます。並河靖之が一代で築き上げた有線七宝が途絶えたもう一つの理由は、後にも先にも彼を超えるような優れた職人が現れなかったからなのでしょう。