没後100年宮川香山展〜超絶技巧を前に圧倒されます〜

週末、サントリー美術館で開催中の没後100年宮川香山展を訪れました。実際に宮川香山の作品を見るのは初めてです。図録の関連年表を見るかぎり、東京での回顧展の開催は30数年ぶりのようです。フライヤーのキャッチコピー「欧米を感嘆させた明治陶芸の名手」に偽りはありませんでした。

宮川香山(1842〜1916)は京都に生まれ、備前虫明を経て、横浜で輸出用陶磁器の制作に携わります。父真葛長蔵は青木木米に師事した京焼の陶工、安井宮から真葛焼の称を、華頂宮から香山の号を賜ったといいますから、血は争えないものだったわけです。折しも、江戸時代は終焉を迎え、文明開化の時代が始まります。ふんだんに金箔を使った薩摩焼の輸出が隆盛を極めていたこの時期、初代香山は独自の作品制作に専心、ついに「高浮彫」という超絶技巧を編み出します。


この装飾技法、本物を前にすると息を呑む素晴らしさです。よく見かけるなで肩の大ぶり花瓶に立体的な意匠が施されたものが「高浮彫」と呼ばれるもので、代表作には花鳥が多くあしらわれています。形状もさることながら色合いが実に美しく、その作品も真に迫る出来栄えなのです。その上、目を凝らすと細部に至るまで忠実に生き物の姿が再現されています。代表作のひとつ、「牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」の猫をよく見ると、口のなかの小さな歯や舌、耳内の血管までが表現されています。

驚くべきは絵画や彫刻で再現されたわけではないことです。これほど繊細な造形物を窯のなかで思うように拵えることが出来るのでしょうか?釉薬の調合に始まり、焼成温度を調整して歪みやひずみが生じないようにするのは至難の技に思えてなりません。展示品のなかに「彩釉記秘法」という帳面がありましたが、香山の釉薬研究の一端を示すものです。番号が1000番にも及ぶことから生き物の微妙な風合いを再現するために苦心惨憺した跡が窺えます。

モチーフとされた鳥のなかでは鶉や白鷺が印象に強く残りました。一対の「高浮彫白鷺花瓶」が特に見事で、胴部緑地の背景に白鷺が数匹描かれ上下に赤絵金彩で花が描かれています。高浮彫に注目しがちですが、花瓶や香炉の確かな造形があっての装飾です。装飾を控えめにした結果却って高浮彫の真価が強調されたのがこの作品です。

横浜大空襲によって香山の窯はすべて焼失してしまい、名跡は三代あたりで途絶えてしまったようです。工房の復興のみならず超絶技巧の後継者の育成は容易ではなかったようです。