新緑の鎌倉ハイキング~起点と終点はJR北鎌倉駅がベスト~

5月下旬の屋久島トレッキングに向けて、友人2人を誘って、鎌倉へトレーニングを兼ねた日帰りハイキングに出掛けました。晴天に恵まれ心地いい風が吹く日曜日の4月14日は、絶好のハイキング日和になりました。

東京都内や神奈川県内に仲間が住んでいたとしても、日帰りハイキングの目的地選びはなかなか難しいものです。週末「ホリデー快速おくたま」が運行されるので、ソロなら迷わず奥多摩エリアへ向かいます。ところが、グループとなると奥多摩への交通アクセスは一択ですから、横浜や川崎住まいの友人には至って不便です。

その点、東京から鎌倉へはJR湘南新宿ラインやJR横須賀線が並走し(写真・上)所要時間は約1時間。首都圏全域に拡大しても交通アクセスは良好です。しかも、鎌倉では慢性的に交通渋滞が発生します。従って、鎌倉ヘ行くのなら公共交通機関を利用するにかぎります。

鎌倉には3つの代表的なハイキングコースがあります。今回は、そのうち2つのハイキングコースをランチを挟んで制覇する計画を立てました。9時に北鎌倉駅に集合して、午前中が葛原岡・大仏ハイキングコース(全長約3km/所要時間約1時間30分)、午後が天園(てんえん)ハイキングコース(全長約4km/所要時間約3時間)という計画です。

起点と終点をJR北鎌倉駅にしたのには理由があります。JR鎌倉駅には先のJR2路線に加え、観光電車・江ノ島電鉄が乗り入れているため、いつ訪れても混雑しています。一方、北鎌倉駅周辺には飲食店も少なく、喧騒から逃れることができます。目論見どおり、9時にJR北鎌倉駅へ到着すると人出は疎らで、古都鎌倉の静謐を存分に味わうことができました。ソロなら早朝スタートするところです。北鎌倉駅からすぐの浄智寺鎌倉五山第四位の古刹(写真・上)です。


(出典:山と渓谷オンライン)

葛原岡・大仏ハイキングコースの最高地点は天柱峰(97m)。先を進むと、葛原岡神社、頼朝像で有名な源氏山公園、宇賀福神社銭洗弁財天など、見どころたっぷりです。連れがほぼコースタイムで完歩してくれたお蔭で、江ノ電長谷駅からスケジュールどおり移動、JR鎌倉駅から徒歩数分の「秋本」の名物・生しらす丼にありつくことができました。頑張った友人ふたりへのご褒美は大好評でした。

食後、鎌倉駅前から路線バスに乗車し、10分ほどで終点の大塔宮へ着きました。大塔宮(だいとうみや)とは、鎌倉幕府の打倒に活躍した後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王のことです。社号は鎌倉宮かまくらぐう)ですが、地元では大塔宮で親しまれているようです。午後のコースの起点・瑞泉寺へ移動し、鎌倉市内最高地点・大平山(おおひらやま・157m)を経て、今泉住宅地経由で下山ました。北鎌倉駅の南東にカフェVERVE(ヴァーヴ)を見つけたので、ひと息ついて1日を振り返りました。水出し珈琲が美味しくて、長逗留させてもらいました。次回も利用したいカフェです。

ヤマスタの鎌倉六座完歩めざして、次回は残る六国見山/祇園山/衣張山をカバーします。

3度目の川瀬巴水展(2/2)〜雪景色に惹かれて〜

川瀬巴水(1883-1957)は、大正から昭和にかけて活躍した木版画家です。海外ではHASUIは、HOKUSAIやHIROSHIGEと並び称され、この偉大なる3人のアーティストのイニシャルから3Hと呼ばれています。

会場で展示作品の所蔵者である渡邉木版美術画舗の代表・渡邉章一郎さんの姿を見かけました。テレ東の人気番組「開運なんでも鑑定団」のファンである妻が気づいて教えてくれました。

新版画を提唱する版元の渡邉庄三郎(章一郎氏の祖父)と出会い、巴水は処女作「塩原三部作」を制作します。縦長画面の三ツ切り判は好評を博したといいます。この渋い作品に目をつけたスティーブ・ジョブズの審美眼には驚くほかありません。巴水は、「たびみやげ」「東京十二題」と次々と連作を手掛けます。

連作シリーズのなかでは、完成度において、「東京二十景」が群を抜いていると感じます。衆目の評価も一致するところではないでしょうか。《芝増上寺》(1925)は、巴水の作品中最も売れた作品です。赤の堂宇に雪化粧した大屋根、その鮮やかな色彩コントラストが印象的な傑作です。何より優れているのは緻密に計算された構図です。枝払いされた手前の松幹が左上方へと伸びて、画面上部から雪の重みで撓んだ松葉が垂れ下がっています。赤と白のコントラストに所謂松葉色が絶妙のアクセントになっています。傘を斜めに差して表情の窺えない女性は、《蒲原》を描いた歌川広重へのオマージュに見えます。

東京二十景」のうち5作品が雪景色です。御茶ノ水の雪景色を描いた《御茶の水》では、画面左上から対角線に雪が降り頻ります。《月嶌の雪》も横から激しく吹きつける雪を描いています。猛々しい自然とは対照的に、画面全体からは不思議な静寂(しじま)が伝わってきます。

《芝増上寺》と並ぶ人気作品《馬込の月》の柔らかい月あかりに浮かび上がる馬込の風景からは、谷崎潤一郎の名作『陰翳礼讃』に通じる日本人の美意識が看てとれます。三日月に浮かび上がる松橋のたもと風景を描いた《瀧之川》には、人家の障子から洩れる灯りが効果的に配されています。

奇しくも、遺作となった《平泉金色堂》も雪景色です。移ろいゆく自然と共存する日本の原風景を描いた川瀬巴水の作品は、何度見ても飽きることがありません。

3度目の川瀬巴水展(1/2)〜会場・八王子市夢美術館へ〜

川瀬巴水の展覧会を観るのは、2015年の「生誕130年 川瀬巴水展 - 郷愁の日本風景 - 」(会場:日本橋高島屋8階ホール)以来、3回目になります。前回はコロナ禍の最中、SOMPO美術館で開催された「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展でした。

会場は八王子市夢美術館。中央線沿線に長く住みながら、八王子駅で下車するのは初めてです。八王子市の人口は559526人(2024/3/31現在)、都内市部ではダントツの1位なのです。駅周辺は想像以上の大都会で立川駅と似たような印象を受けました。

JR八王子駅北口を出て左手へ進むと、すぐにユーロード(西放射線道路)と呼ばれる広々とした歩行者専用道路に出ます。歴史を紐解いてみると、戦後の戦災復興事業において八王子駅甲州街道を結ぶ三本の放射道路が整備され、駅前の幹線道路網が形成されたとあります。全国的にも珍しいターミナル駅直結の歩行者・自転車専用(昭和59年以降)の幹線道路だそうです。正直、八王子駅前の往来の賑わいに驚愕しました。

優れた都市計画を有する街は必ず発展します。仏・第二帝政時の19世紀、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが取り組んだフランス最大の都市整備事業がその典型です。特に駅前の再開発事業においては、都市の命運を決する一大事と言っていいでしょう。ユーロード整備の恩恵は絶大です。沿道には活気溢れる商店街が形成され、1日2万人もが訪れる市内随一の繁華街になっているのです。

総延長500mのユーロードを抜けると旧甲州街道国道20号線と合流します。さらに西へ進むと、シンガーソングライター・松任谷由美の実家・荒井呉服店がありました。竣工まもない立派なマンションの1階に紺地の暖簾がひときわ目立ちます。

めざす八王子市夢美術館はすぐその先でした。

黄砂襲来~愛車の高圧洗浄はマスト~

ここ数日、原因不明の水下痢(きつかった…)を患い自宅で静養している間に、愛車GLA35が写真(下)のような有り様に。4月17日から18日にかけて西日本から北日本まで広い範囲に黄砂が飛来したからです。都心の空は黄砂で霞んで見えたそうです。車体はポーラーホワイト(ソリッド)なので、余計に汚れが目立ちます。ルーフはまるで鳥の糞が付着したような塩梅です。青空駐車ゆえの悲しい宿命です。

黄砂は中国大陸奥地から飛んでくる細かな砂の粒子。運ばれてくるのはタクラマカン砂漠ゴビ砂漠の砂で、3月から5月にかけて偏西風に乗って日本にやってきます(写真下は黄砂飛来のメカニズム)。厄介なのはスギ花粉より粒子が小さいため、肺の奥まで入り込むことです。黄砂飛来時は外出を控えた方が良さそうです。


(出典:weathernews)

ガソリンスタンドや洗車場は何処も大混雑のようです。黄砂の飛来は収まったものの、GW前半までお天気が悪そうです。高圧洗浄したいのはやまやまですが、洗車直後に雨に降られては台無しです。天気予報と睨めっこで洗車のタイミングを見計らうつもりです。

ジャスティンミラノが亡き藤岡康太騎手に捧げた2024年皐月賞V

今月6日、阪神競馬場7Rで落馬した藤岡康太騎手が、4日後の10日、35歳で亡くなりました。遡る3月30日には、2023年度のリーディングジョッキールメール騎手がドバイターフで落馬して、肋骨と鎖骨を骨折し肺にも穴が開いていたと報じられています。檜舞台のGIレースばかりが注目されますが(自分もGIレースしか馬券を買いません)、勝利数(1着)ランキングトップ10に入るJRA騎手の年間騎乗回数を調べてみると、10位の武豊騎手は505回、4位の松山弘平騎手の騎乗回数901回がトップでした。想像していた数字を遥かに上回る騎乗回数です。

亡くなった藤岡康太騎手の2023年度の勝利数は13位、騎乗回数は698回を数えました。日刊スポーツによれば、レース中の落馬事故で死亡した騎手は1954年以降で20人目だそうです。GI2勝の藤岡康太騎手だからこそ、その早すぎる死を大きくメディアが取り上げますが、報じられることない練習中の死亡事故や怪我を含めれば、相当な数になるのではないでしょうか。軽やかな身のこなしでサラブレッド馬を巧みに乗りこなしているように見えて、騎手は常に命懸けでレースに臨んでいるのです。このことを痛いほど思い知らされました。僅か数分のレース結果だけに一喜一憂するだけでなく、競馬ファンなら騎手が紡いできた競走馬との絆に思いを馳せて観戦すべきです。

3歳三冠の第一関門・第84回皐月賞を制したのはジャスティンミラノ。混戦模様だったレースのゴール直前、首ひとつ抜け出しての勝利でした。レース直前の速いタイムの調教を追い切りといいます。栗東ジャスティンミラノの追い切りを務めたのが藤岡康太騎手だったそうです。最後に攻めの調教をつけた藤岡康太騎手のお手柄でもあったわけです。友道康夫厩舎の友道調教師は、ゴール前で「康太」と叫んでいたと言います。

新緑のなか、鎌倉アルプスを縦走中にラジオの実況で2番人気ジャスティンミラノの優勝を知りました。単勝とワイドが的中、亡き藤岡康太騎手の想いを知り、3戦3勝のジャスティンミラノを益々応援したくなりました。

「日枝神社」で初お宮詣り

先週末、初孫(ゆうと君)のお宮詣りに日枝神社を訪れました。例年より桜の開花が遅れてくれたお蔭で、桜を愛でながらのお詣りになりました。母子共健やかにこの日を迎えられた上、お天気に恵まれたので、初の野外イベントに臨んだゆうと君は《持ってる》と言えそうです。本殿向かって右側の藤棚でもちらほら藤が開花しています。ご祈祷は本殿北側にある祈祷殿で行われました。時間にして30分弱、古式に則り念願の抱っこが叶った妻は、終始ご機嫌でした。神主さんが祝詞をあげている間、少しぐずっていたゆうと君でしたが、雅楽が始まるとすっかり大人しくなりました。太鼓の大きな音に少しびっくりしたようですが、神楽鈴の音色は心地よく響いたことでしょう。

日枝神社は、江戸城の鎮守として徳川家に篤く崇拝された由緒正しきお社です。ご朱印には対角線上に社紋の双葉葵紋があしらわれ《皇城之鎮 日枝神社》とあります。ご祭神は山の神様として知られる大山咋神(おおやまくひのかみ)。大山咋神の別名が山王ですから、山王日枝神社とも呼ばれます。日枝は比叡山の「ひえ」に由来します。比叡山の麓にある日吉大社も昔は「ひえ」と呼ばれたそうです。

江戸城の鬼門は神田明神、南西の裏鬼門にあたるのが日枝神社です。高層ビルが林立する都心にあって、明治神宮と並ぶ屈指のパワースポットではないでしょうか。クルマからよく目にするのは外堀通りの山王鳥居、山王下交差点からぐるり時計回りすると古い山王鳥居が現れます。52段の階段を上ると正面が拝殿になります。

拝殿の両脇に鎮座するのは、狛犬ならぬ2体の夫婦猿。日枝神社の神様のお使いは《神猿(まさる)》。「魔が去る」・「勝る」に繋がり厚く信仰を集めています。子ザルを抱えた母親ザルに安産祈願した甲斐あって、ゆうと君はすくすく育ってくれています。

2024年大河ドラマ「光る君へ」と『源氏物語』

番組タイトルは光源氏、今年の大河ドラマはてっきり『源氏物語』の話だと思っていました。番組が始まるまで、番宣含め一切の雑音に耳を貸さなかったからです。第1回を視聴して『源氏物語』の作者・紫式部が主人公だと初めて知りました。紫式部を演じるのは「花子とアン」(2014)で主人公・村岡花子を好演した吉高由里子さん。演技力のある女優さんだけに、今後の展開が楽しみでなりません。回を重ね3ヶ月が過ぎましたが、so far so brilliant!

世界最古の長編恋愛小説を残した才女でありながら、紫式部の生没年すら分かっていません。『枕草子』の清少納言然りです。第13回(「進むべき道」)まひろは数年ぶりに嫡妻の家で道長とばったり再会します。道長配下の者は道長に対し、まひろを藤原為時の女(むすめ)と紹介します。平安時代中期に書かれた『更級日記』の作者も菅原孝標女です。男性中心社会でかつ一夫多妻制の御代にあっては、才長けた女官でさえ恰も男性の従属物のように扱われていたことがよく分かります。


(写真:NHK

道長柄本佑)の妻倫子(黒木華)から請われて出向いたまひろ(吉高由里子)が見せられたのは、道長が隠し持っていたという文。あろうことか、まひろが道長に送った帰去来の辞を認めた文でした。道長から文を貰ったことのない倫子は、そうとは知らず、女文字で書かれた文を一体誰が認めたのかと訝しがります。まひろが道長の元カノだとは知らない倫子。まひろは、早々に話を切り上げ辞した矢先に道長と再会します。不倫、略奪愛に始まり、ありとあらゆる恋愛を描いた『源氏物語』を地でいくスリリングな展開なのです。

「光る君へ」を英国貴族たちの生活を描いた「ダウントン・アビー」の平安版に喩えたのは三谷幸喜です。長く読み継がれてきた『源氏物語』は、谷崎源氏、円地源氏、瀬戸内源氏等、近・現代の小説家がこぞって現代語訳に挑み、コミック化(『あさきゆめみし』)もされています。古今東西、下々が窺い知ることの出来ない上流貴族の生活を覗き見るような感覚が読者を誘惑してやまないのでしょう。

生没年不詳の主人公・紫式部の生涯は謎めいています。史実では、まひろは父為時(岸谷五朗)の良き相談相手でもある藤原宣孝佐々木蔵之介)と結婚し一子を授かります。「虎に翼」の主人公なら「はて」を連呼する急展開です。ミッシングピースだらけの紫式部の生涯は、ベテラン脚本家・大石静さんの手にかかればきっと生き生きと甦るに違いありません。虚実内混ぜのドラマティックな展開を想像しながら、今からワクワクしています。